承認欲求に呑まれて時間もメンタルも失った。
YouTubeで2時間くらいかけて動画を作った。
身内にはすごくウケた。承認欲求をすごく満たせたわけだ。その夜は興奮してなかなか寝付けなかった。翌日は睡眠不足。
そして暇さえあればその動画を何度も見た。「我ながら面白いの作れたな〜」と悦に浸る。ただ、その快楽は一過性のものに過ぎない。
お菓子を食べて「おいし〜!」と食べてる瞬間だけ快楽があるのと同じような感覚だ。
承認欲求は瞬間の「ヒャッホー!」だ。つまり瞬間の快楽。熱が冷めたら虚しいだけ。むしろ何もしてない状態より気分が下がる。「酒」「エナジードリンク」「オナニー」「対戦ゲーム」などの過剰な興奮の後にくる虚しさに似ている。気分は上がり過ぎたら元の位置より下がるのだ。
快楽の後にメンタルや時間が奪われるなら、承認欲求に依存するのは、酒やお菓子に依存するのと何ら変わらない有害なものということだ。
承認されたらその瞬間は自分の価値が認められたかのように感じるかもしれない。しかしその栄光は長くは続かなくて、みんなそれぞれ自分の生活に戻っていく。というか、「うん、面白いね!」程度のものだ。それで人生が充実するわけではないのだ。
というか、テンプレのようなキラキラとした充実なんてほとんどの人は無理だし、必要もない気がする。
基本的に穏やかに過ごせて、ちょっとしたことにも喜びを感じれて、暇を感じることなく没頭できることがある。
これで十分幸せってもんじゃないだろうか。
ただ人は社会的な生物であるがゆえに、他人のキラキラしてそうな生活に嫉妬したり妬んだりしてしまう。ただそのキラキラした生活の一部は、ほとんどが快楽の瞬間だったりする。
「高級ホテルに泊まりました!」「高級なディナーでした!」「みんなで楽しく遊びました!」
確かに楽しそうだ。でも365日そんな生活してる人はそうそういない。普段はみんな仕事の人間関係で四苦八苦しているはずだ。だからちょっとでも充実して幸せそうに見てもらいたい承認欲求からそういう投稿をするのだ。
これは自分がやっているおもしろ動画投稿と何ら変わらない。
「自分てこんな生活してて価値あるでしょ!」
「自分てこんな面白い動画作れて価値あるでしょ!」
うん、同じだね。
仮に、仮にだ、「いいな〜!うらやまし〜!」と思われたとことろで意味はあるのだろうか?あまりないと思う。なぜなら所詮は虚勢を張っているようなものだからだ。自然体ではない。
無理して頑張って承認を得た。褒められた。その後に残るのは虚無感と倦怠感だ。
尊敬もされないし応援もされない。なぜなら誰の役に立っているわけでもないから。別に趣味ならそれでいい。だが承認目的なら、それによって束の間でも自己肯定感をあげたいという欲がある。
だが所詮は消耗品なのだ。
まだ漫画やアニメ、アイドルなどのビジネスならお金が残るかもしれないが、一般人の去勢を張ったキラキラ投稿には何も残らない。
「編集スキルが残る」
それも一理あるが、本当にそう思えるなら虚しくならないはずだ。虚しくなるならそれは承認目的だからだ。
承認欲求というジャンクフード。
幼い頃にカーストが低かった経験が多い人ほどおいしくて依存してしまうだろう。
だがその美味しさは身を滅ぼす。
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