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人をジャッジして下に見ても自信はつかないし、その厳しいジャッジは自分に返ってくる。
相手が嫌な奴ならジャッジしてもいいかというとそうでもないみたいだ。
例えば知り合いや同僚に対して、「あいつは嘘ばかりつく」「あいつは幼稚」「あいつは自己中」「あいつは承認欲求強すぎ」
こういう批判をする。
誰かを批判をするということは、「それに比べて自分は大丈夫」という前提になる。だが本当にそうか?
人を批判した時点で、人として大丈夫というラインを勝手に自分で設定している。当然自分はそのラインを下回ってはいけない。そしてそれが他人の目を気にする原因になる。
「自分はダメって思われてないかな?」「今の言い方大丈夫かな?」
そう思うのは自分が誰かをダメって思ったからだ。自分が誰かをそうやってジャッジしているということは自分も当然みんなからジャッジされてるということに怯えることになる。
そういうのはもういいんじゃないか。
仮に誰かが自分よりも幼稚だろうが、デブだろうが、嘘つきだろうが、要領悪かろうが、承認欲求強かろうが、性格悪かろうが、
その主観はお前の幸せにそこまで直結することなのか?
自分はそこまで性格がいいのか?
自分はそこまで上等な人間なのか?
他人にそこまで執着するのは、本当は自分に自信がないからじゃないか?自分の弱さを直視できないから他人を恨んだり、見下したりして劣等感を誤魔化してるんじゃないか?
好きにさせよう。
「SNSでキラキラ投稿してるやつ」好きにさせてやれよ。自分には関係ないだろ。
「仕事でいつもイライラしてる奴」好きにさせよう。そいを恨んだり馬鹿にしたところで何も起きないんだ。気もつかう必要はない。それは相手の課題だから。無関心でいい。自分の仕事に集中すればいい。自分がコントロールできることだけに集中すればいい。
「嫌なこと言ってきたやつ」好きにさせてやれよ。悪口ばかり言う奴は人望がなくなるんだから放っておけばいい。自分は悪口を言わないようにすればいい。いや、言わないどころか考えもしない方がいい。それはジャッジや批判だから。
自分が他人をジャッジするのをやめたら自分も自由にやれるんだ。
素の自分でいられるんだ。
「無愛想はダメだ」「返事しないのはダメだ」「デブはダメだ」「悪口ばかりはダメだ」
実際こういう人は尊敬されないだろう。だからといってその人を変えることはできないのだ。だからいくらその人にイライラしたところで何も意味がないのだ。本当に実害を感じて嫌なら、自分が別の場所に行くしかない。それをしないなら、それはもう相手の問題ではなくその場にいることを選択した自分の責任である。
「いや、相手がクソ野郎なのは事実だ」
そうやって恨んだところで自分が損するだけだ。相手は変えられない。他人を変えるのは自分を変えるよりよっぽど難しい。
相手の嫌な部分を考えて考えて、その先にあるものはなんだ?
「俺はそいつよりマシ」
そうやって人を見下すことでしか自尊心を満たせない自分に魅力を感じるか?それって実は悪口ばかり言って劣等感を感じないようにしているおじさんと同じじゃないか?
知ってるよ。暇なんだ。
暇な時すぐにできるのが他人へのジャッジだ。
その趣味はもういいよ。やめたら少なくとも今よりずっと幸せになれるよ。
人の目が気にならなくなるよ。
やってみよう。
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