見出し画像

私はなぜ卑屈な生き方をしてきたのか?コミュニティーで足でまといだと、卑屈になりやすくなる。

私はなぜ卑屈な生き方をしてきたのか?

それは私が、コミュニティーごとに必要な能力が低かったからだと思う。

学生生活での能力


<コミュニケーション能力が低い>
母子家庭の一人っ子で育ってきたので引っ込み思案で他人が怖く、人との接し方が分からなかった。加えて、HSP気質で神経過敏なので集団の中にいるだけで消耗していた。ずっとオドオドしていたので不良っぽいヤツにいつもよく虐められていた。下級生の性格が悪いヤツにも舐められていたのを今でも覚えている。中学生時代は引きこもっていた。

<学力が低い>
普通に頭が悪かった。授業についていけなさすぎて、少人数の特別クラスみたいなのに入れられた。(いわゆる下級クラス)そこで私よりできない子をバカにして先生に烈火の如く怒られたのを今でも覚えている。

<運動能力が低い>
サッカーのクラブに入っていたのだが、下手な私はずっとディフェンスで上手な子がオフェンスで活躍するのをずっと見ているだけだった。当然チームで集団行動なので、そこでも勝手に消耗していた。

<図工の時だけ誉められた>
唯一、図工の授業では「作品が独創的」とよく誉められたのを覚えている。中学や高校でもよく誉められた。授業が全て図工だったなら自信がついてもっと明るい性格になっていたかもしれない。

新社会人時代

<仕事の能力が低い>
飲食店でバイトをしていた。厨房で調理補助をしていたのだが、要領が悪かったので忙しくなるとパニックになり呆れられていた。うっかりミスがめちゃくちゃ多かった。(今でも多い。軽いADHD?)

<コミュニケーション能力が低い>
引っ込み思案の性格がここでも足を引っ張り、常に消耗していた。集団行動をしているだけで、自分だけ常にステータスが「毒」って感じだった。人目を気にしすぎて仕事に全然集中できなかった。年下の先輩にビビって卑屈になって媚びまくっていたのを今でも覚えている。

地獄の店長時代

その飲食店でバイトから社員になった。人に嫌われるのが怖すぎてバイトに全然注意しなかったので、怖い上司から烈火の如く怒られた。うっかりミスも相変わらず多くて、そのたびに激詰めされた。ぎっくり腰になってまともに歩けなくなっても全く心配されず、いつものように激詰めされたのを今でも覚えている。

周りの同期はブラックな環境やパワハラですぐに辞めていったが私は辞めなかった。忍耐強かったからではない。他の会社に1からやり直す自信がなかったことと、「辞める」と言って幻滅されるのが怖かっただけである。そうやって残っていると消去法で店長にされた。明らかに適正ではないのに、意味がわからなかった。「とにかくやらせてみる」的な何かだろう。

「元引きこもり」「コミュ障」「集団行動が苦手」「陰キャ」なやつが飲食店の店長でまともにできる訳がない。それがわかっていても、「断る」という選択肢がなかった。「指示されたらなんでもやらなければならないのが会社員」と思っていたからだ。実際そうなんだろうけど、できないことはできないと言わなければならないと今では思う。そうでなければ自分も周りも結果的に損をするのだ。

とにかく店長業務は地獄だった。終わらないシフト作成。上司から毎日激詰め。休日でも店が忙しかったりすレームがあれば即出勤。従業員からは頼りなさすぎて呆れられる。最高責任者なのに肩身が狭かった。歯が痛くて歯医者に行きたくてもいく暇がないので激痛を感じながら働いた。コロコロ変わるマニュアル。書いている意味がわからないのにみんなに説明しなければならなくて毎日不安だった。

普通に鬱だったと思う。毎日恐怖と不安を感じながら目覚め、働き、寝る。なんのために生きているのかわからなかった。

それでも辞めたいと言えず、「普通に無理」という態度を受動的にずっと出していたら、さすがに無理そうだと判断されて平社員に降格してもらえた。この時の幸福感は半端なかった。

自分の意思などない。本当にただ会社の指示に流さるれがままの人生だった。

・「京都の店舗に配属になったぞ」「次は名古屋の店舗に配属になったぞ」
→よく分からないが社員なのだからいくしかないのだろう。

・「8時間過ぎたらタイムカード切って働いて」
→よく分からないが社会とはそういうものなのだろう。

・「おめでとう。店長だぞ」
→全然やりたくないがやれと言われたらやるしかないのだろう。

・「今店がやられてるからすぐ行って」
→休みなんだけど。。。店長だから責任をもっていくしかないのだろう。

・「店長きつそうだな。一度副店長からやりなおそうか」
→はい。お願いします。(やっと気づいてくれた)


店長時代に病んでいる時にマネージャーと面談した内容が印象に残っている。

マ「なんで店長やめたいと思う?」

自分「自信がないからです」

マ「そうか。じゃあ自信ってどうやってつくと思う?」

自分「できるようになったらついていく感じですかね」

マ「そうだな。でもなつきはまだ店長なりたてでいきなりできる訳がないのはまあ当たり前だ。だからやっていくうちにできるようになっていく。そこで『自信』がつくんじゃないか」

自分「そうなんですかね。でもその自信がつくまで店長やるのが自分はキツイです」

マ「そうか」

そう、誰だってたくさんの時間を掛ければ、それがどんな苦手なことでもある程度できるようにはなるだろう。でもそのある程度も、本人から見ても周りから見ても普通か普通よりちょっとできる程度だ。

だから思う。本人にとっても周りにとっても大事なのは、『少なくともそれを本人が苦手ではないこと』なのではないだろうか。(もちろん得意だと最高だ)

例えばサッカーが苦手な先生がサッカーの顧問をする必要があるのだろうか。その先生でもずっとサッカーの顧問をやらせれば『サッカーの顧問としての自信』がつくのだろうか?生徒はその先生に教えられてまともに上達できるだろうか?

同じ同期でも、明るくバリバリ働いているやつもいた。そいつと自分とでは何が違うのか?それがきっと「その場に合う得意なことがどれだけあるか」だったのだろう。(もちろん人間力もあるが)

その環境において自分が苦手なことが少なく、得意なことが多ければ多いほど活躍できる。苦手なことへ対応するのエネルギーの消費量は半端ない。逆に得意なことは当たり前のようにできてそれが周りから優秀に見られる。

苦手なことが多いコミュニティに入っても、みんなから足でまとい扱いをされるだけ。だから卑屈になって、みんなの顔色を伺って村八分にされないように立ち回るくらいしかできなくなる。

少なくともそれだけは避けなければならない。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?