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コミュ力がなぜ重要なのか。なぜコミュニケーションは難しいのか。(書き殴り)

まず、何を話したらいいかわからん問題がある。

仲の良い人と話が弾むのは素の自分を出せるからというより、共通の話題が多いからだと思う。

自分は仲の良い友人とは共通の趣味のゲームや麻雀の話ばかりしていた。あはあ〜だとかこーだとか別の友人のこと。ずっとそういったコミュニケーションばかりしてきたので、それ以外のコミュニケーションのやり方が未熟なのだろう。

だから職場とかのあまりお互いを知らない同士だと、「この作業って〜だよね」とか「この作業ってどうやるんですか?」とかそういった表面上の会話で終わってしまう。で、あとはもうお互い話すネタがないので、その後は挨拶するだけの浅い関係になるのがいつものパターンだ。同じ空間にいる時の沈黙も気まずい。

職場のコミュ力が高い人はとにかくいつも何か喋っている。(女性が多い)内容は仕事のことよりも、自分のこととか、相手のプライベートのこととか遠慮せずに聞いている。そのさりげなさがウマイなと思う。沈黙の間が気まずいから無理やり喋ってると言うより、喋りたいから喋ってるという感じだ。

その人に喋りかけられると、自分もコミュ力があるように錯覚するのがすごい。そういったコミュ力のある人に対しては敵意が全然湧いてこない。これはきっと敵意がないと分かるからだろう。(たまにサイコパスいて騙されるがそれは稀)

例えばお互いが黙っていると、相手が敵意があるのか好意的なのか全くわからない。その場合、だいたいネガティブな風に思われてるように考えてしまう。

これは実体験があって、

若い頃ゲーセンでよく格闘ゲームをしていたのだが、格闘ゲームというのは勝負なので勝った負けたで感情的になりやすい。で、相手が友人の場合は負けたらもちろん悔しいんだけど、「ちくしょーやられた!w」などと会話するとその悔しさがなぜか10分の1くらいになる。

だが、相手が一度も喋ったことのない人相手だと、負ければめちゃくちゃ悔しい。友人に負けた時の100倍くらい悔しい。これはなぜかというと、相手が何を考えてるかわからないので、その相手の心情を勝手に想像することになり、その想像はだいたいが「ザマ〜w!雑魚乙w」とか「バーカw!」とというものになるからだ。(自分もそう思ってるからそれが投影されているのだろう)

会話のしたことがない相手との勝負はまさに『戦争』なのである。

戦争で兵士が容赦無く人を殺せるのは、「相手と全く会話したことがないから」というのはかなりあるんじゃないかと思う。なぜなら喋ったことがない相手は敵だから。

でも1度でもしゃべるきっかけがあると、なぜかだいたいそこから一気に味方になる。「強いっすねw!」「いやいやあなたこそウマイですねw」という会話から始まり、「あの連携どうやったら抜けれるんですか?」「あのキャラ強すぎですよね〜」みたいな会話を通じてさらに味方になっていく。

まさに会話マジックである。

そして1度も会話したことがない相手、例えばネット対戦で顔も知らない相手に負けると無性に腹が立つのはこれである。もしかしたら相手は性格がいい可能性もあるが、わからないので想像するしかない。そしてその想像はだいたいさっきみたいにネガティブと。

つまるところ、人同士がお互いに敵意がないと判断するには「雑談」しかないのだと思う。

仕事上必要な会話だけではダメだ。なぜならそれは相手が敵であっても必要なものだから、敵か味方か判断できない。

で、「挨拶」はどうなのかというと、これは敵だろうが味方だろうがやらないと周りからヤバいやつ判断されるので、挨拶してるからといって味方になるかというと微妙だ。(実際、挨拶だけしてても気まずい人はいくらでもいる)

流石にこちらの挨拶を無視したり適当に返してくる人は、病んでいる人か、こちらを下に見ている人かだろう。(目上の人にはちゃんと挨拶してるなら確定)。まあ別にそういう人とは仲良くなる必要はないので、建前100で接すれば問題ないだろう。

だから結局のところ、敵(かもしれない)から味方になるには雑談しかないのである。何も喋らないよりは、多少スベったり、支離滅裂になってもいいので喋った方がマシだと思う。少なくとも敵ではないのが伝わるので。

唯一ダメなのは、人の悪口を話のネタにすることだ。それなら黙っていたほうが100倍マシである。

今のところコミュ力についての考え方こんなところだ。

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