19日に街頭ビジョンで「黛灰に関する映像」が流された直後、systemmessageがシナリオとセッションの安全維持のためエラー要因の削除を実行するとツイートした。その後、20日に黛灰の行動とそれを観測した世界の動画を公開したことから、「黛灰」自体はエラー要因では無いと考える。

野老山教授は「自分は物語から抜け出せたと思い込み、黛灰を現実に生み出そうとする」という設定を持った登場人物である。「施設の人」と同じく役割以上のことを知る権限を持たない。故に互いの言う「現実」に違いはないかリスナーがすり合わせをしようとしても、その質問は認識されなかった。

2020年4月1日の配信に寄せられた「プレイヤーは全てのエンディングを知った上で~」というコメントは誰が発信したものか。黛灰は知らずに操作される側であるためプレイヤーではない。この時点で「黛灰」「プレイヤー」「それらについて発言できる誰か」の3視点が存在している。

2020年4月1日の配信は、黛灰の行動がリスナーの選択によって決められていることを示唆していた。(※キーパッドはナレーションが「スタンリーには分からない」としたため認識できていない)問題は「プレイヤーは全てのエンディングを知った上でプレイしています」というコメント。

黛灰の物語に関するアンケートまとめ 2020年1月9日 ・自分(黛灰)の思いを貫くと心に誓う 2020年9月28日 ・黛灰に居てほしい ・黛灰には自由にしてほしい ・リスナーが決めた自由は黛にとって自由ではない 2021年5月20日 ・黛灰は野老山の手を取らず野老山を削除する

考える前に「黛灰の物語」というコンテンツを読み解きたいのか「黛灰」というコンテンツを読み解きたいのかを定めておかないと思考が着地点を見失うので注意。どちらにしても出力した時点で誰かから見た黛灰に関するコンテンツの一部として消費される可能性はあるものとする。

街頭ビジョンで流した動画ではなく動画とそれが流れる場の様子が投稿された件。黛灰について語る・反応すること自体が「黛灰の物語」というコンテンツの一部になることと同義なのでは。どんなものでも無関係な人間からそう見られる傾向はあるが、これをコンテンツ側が意図的に行っている可能性はある。

7月1日にフリーチャットで「再構築された黛灰」による初配信が行われる可能性はないか

5月20日の配信が物語の再生リストに追加されない理由について、もし再構築後も追加されなかった場合、あの配信はシステム管理下から外れたルートであったということになる。野老山教授が「演出」されている点から、途中までは既定路線で配信最後以降の黛灰の挙動がルートから外れた行動なのでは?

systemによってエラーの要因として削除されるのは黛灰の今現在の感情、考え方、それを抱えることになった経緯の可能性がある。