山田ノート
山田ノートとは、山田が考える走り書きを、申し訳なさげくらいに修正、加筆割愛、校正したものをあげるノートである。
よって内容の品質は保証致しかねる。
当然読み手のことなど一切気にしないで書き連ねており、読み手を不愉快にさせることもしばしばあろう、勝手なノートだ。
書き手の私自身、書き連ねながら立腹しているときもあるし逆に、嬉々として鼻歌でもんーんーと間抜けな顔をしながら書いている。
どんな人にこの山田ノートを読んでほしいか、という読み手の属性に焦点をあてるものでもない。むしろ読むに値しない文章の羅列がされることと予報される。
とは言うものの、文章である以上、何かを伝達しているかもしれない。…かもしれないと記したのは、ただの書き手のつぶやきや感想、印象付けられたことなどもあるため、伝達性、いわばメッセージ性に欠けるだろう。
成り行き任せ、思うままに、当然書き手の性格上、気張るとこもなく、一方的に文章を配置していく。
山田について少し紹介するならば、
中年の男。東洋人の黄色人種。学士。修士。
考えることは好きだが、疲労を覚えると眠ってしまう。
少々奇妙な発育歴、学歴、職歴を踏んできた。
がゆえに考え方そのものはユニークなものかもしれないと自分では認識している。
基本、スマートフォンを見ない。頭痛が出てくるから。パソコンを用いる。老眼も始まりスマートフォンはきつい。
紙と鉛筆、机と椅子、布団と枕が大好きだ。
パソコンから得られる知識に対してはかなり懐疑的。情報などもはや天気予報くらいしか得ることがない。天気予報も、解説は聞きたくない。天気図を見たい。
タバコを嗜む、どころか酷い中毒者だ。
アルコールは拒絶する。
好色はめっぽう好きだ。
賭博は一切やらず、専ら見る方だ。
(パチンコ屋駐車場の出庫する車の発進のさせかたを観察すると実に面白い。運転の粗さから相当の大敗を喫したことがありありと想像できるぞ。ブオーン!ってね)
結構なナショナリストでありながら、グローバリストたちにある意味羨望感を持っている。
核爆弾を投下したアメリカという蛮国は苦手だ。
自由を好むくせに、自由を活かし切ることができずしばしば落ち込んでいる。自由を謳歌す、というのは困難極める。
とにかくヒューマニズムに重きを置く。
でもその辺に蔓延るスピリチャル?はなんか嫌い。
宗教観は、持っている人は幸せなのだろうか?と疑問を持つ立場。新興宗教はただの詐欺行為だという認識。ネズミ講のようなもんだな。
マルクスレーニン主義という古めかしい考え方をあまりよしともせず、かと言って自由経済主義がいいかと思えば、近ごろ限界なのではないかとも思う。
人間の持ちうる3大欲求に素直である。
食うし寝るし、あれだ、あれ。
物欲が乏しく、権威主義、支配的でもない。
良くも悪くも無欲だ。貪欲になるのは3大欲求の解消と自分への問いかけくらいだろうか。
コーヒーを好む。喫茶店でぼんやり思索に耽るのも好き。タバコの吸えぬ喫茶店など喫茶店とはみなさない。(最近ではカフェというのか?)
放浪癖が強い。思いつきで行動すること多々。
発言にはそれなりの注意を払うが、他者をイカらせたり悲しませることも頻繁にあり、そのたんびに自分の不甲斐なさを痛感して、やはり落ち込む。
あーあ。多少気分が晴れたな。
今日はこの辺で。
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