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不登校について雑談。



不登校の現状


「児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査(以下,問題行動等調査)」(1) の結果によると, 令和4年(2022年)で不登校は小中学校合わせて約 29万9千人おり、割合は全児童生徒数の3.2%中学生に限れば6.0%。20人に一人は不登校であるという結果になっている。

人間はロボットではない

昔、学校臨床心理学を履修した時に聞いたのはアメリカで学校が始まった頃の話ではやはり6%ほどの不登校があったと教わったように記憶しています。近年不登校が増えているというけれど、まず確認しなければならないのは100人いたらロボットのように完璧に登校するというのは人間の技ではなく、6%くらいは学校というシステムが始まったころからあったし、人間が人間である限り、何%かの人間は学校へマッチしないことは当然であり、おかしいことではないということである。

余談として:大谷翔平を育てるなら

よく、「どうしたら大谷翔平君みたいな素敵な人間になれるんだろう?」と自分の子どもをどう育てたら1000億円稼ぐような大谷翔平になるのかという方もいらっしゃるけれど、大谷翔平を育てたいなら自分の子どもではなく、大谷翔平を培養したクローン人間を育てたほうがいいし、ロボットを育てたほうがいいのではないだろうかと思う。自分の子どもを育てるとは世界でただひとつの個性を身近で見守るという作業であり、人を憧れて教育に正解があるような形で子どもに接するべきではないと感じる。

自然とはじまる悪者探し

学校に行ってくれない子どもを持つと「どうしたら自分の子どもは学校に行ってくれるのか」「自分が何か間違った教育をしてきたからこうなったんじゃないか」「うちの子が学校に行ってないなんてみっともなくて人に言えない」「この子の将来はどうなるんだろうか」「いやな友達さえいなければ、」「パートナーがもっと相談に乗ってくれたなら」「おばあちゃんが手をかけすぎたんじゃないだろうか」原因探しをしていると同時に「悪者探し」が始まってしまいます。

でも何かの原因があったとしてもそれを取り除くことはできないし、誰かを悪者にして攻め続けることもできない。ありとあらゆる原因が人間は府雑に絡み合って現状を作っている生き物であるとするなら何かひとつの原因があるからひとつずつ原因探しをして固いひもをほどいていく作業をすることもひとつですが、何よりも大事なのは本人が何をしたいかそれをくみとることではないでしょうか?

本人が何をしたいか

本人に「何かしたいことある?」と聞くとなにも。とかない。とか返ってくるけれどもごはんカレー食べたいとか牛丼食べたいとか食欲からアニメが見たいとか漫画が読みたいとかゲームがしたいという娯楽の欲とか彼氏が欲しいとか彼女が欲しいとか青春特有の欲とか何かしらのしたいことがあると思うのです。その本人が何をしたいかを掬い取っていくことが、周りにいる人の役割として解決に一番近いと思います。そしてその解決の仕方を周りがただただ用意するのではなく、本人と一緒に手伝いながら取り組んでいくことで学校という世界のみならず、世界が文字通り広がって、新しい世界に踏み出していく瞬間それは学校への一歩ではないかもしれない。しかし、大人になったら行くのは学校ではない。大海原の自由な海である。その自由な海に一歩踏み出すように本人が成長するのではないだろうか?その先に学校はないかもしれないその一歩一歩踏み出していった先に何があるかはわからない。だけど一歩一歩踏み出していったということは新しい世界が広がっているということだ。もしかしたらその一歩の先に自分が思っていた世界が広がっているかもしれないし、自分の思い通りにならない世界があるのかもしれない。でも今ここにとどまるよりはいいのではないだろうか?

とどまるときその思考は過去をぐるぐるとこねくり回し、苦しみと不安のなかを頭が行ったり来たりする。新しいお水を入れる。新しい世界を踏み出すには本人が一歩踏み出すことを手伝うことだ。その一歩が他人の望むものではないかもしれない。しかしながらどの一歩でも踏み出すことで世界を歩くことが大事なのだと思う。

その広がった世界の先に自分が住みよく心地よくいられる世界に出会うかもしれない。解決をするにはその一歩を踏み出し続けることで本人が何をしたいかをよく観察して一緒に手助けして一緒に一歩を踏み出すことである。


ちょっと熱くなったけれど、少しそんなような記憶があります。自分も不登校だったからそんなことを思うのです。それが正解かもわからないけれども、やはりしたいことをし続けた先にしあわせを感じたり、心地よさを感じる瞬間や自分を知れたりすることができたから。

つらつら書きましたが、また不登校については書こうと思います
自分の体験が役に立つこともあるかもしれないし、役に立たなくても書くことに意味があるかもしれないと思うからです。

ではでは♪



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