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息を殺して

先日、息抜きになにかしていることはあるんですか?と聞かれました。その場ではなにも思い浮かびませんでした。


その後もその問いを思い出しては、何かなかったかと考えるのですが、やはりなにも思い浮かびません。そうしたことは随分昔からありました。


趣味がない、とかね。


今ハマっているものですとか。


推しも沼も知りませんし、なにか熱く語れるような対象も私にはありません。


そんな自分をつまらない人間だなあと、ずうっと思ってきました。先日の問いに答えられなかった時も、なにかないのか…、ここでスッと答えられるなにかは…! と微かな焦りを感じたものです。


でもよく考えましたら、ずっと好きなことばかりやってきていたのでした。


息を抜く必要などないのだと答えればよかったんだなあと。趣味も今ハマっているものも、まさに今やっている作業です、ということなのでありました。


傍目からそれがそう見えないのはそれが一般的には「仕事」と呼ばれるものだからなのかもしれません。そうですね、仕事と言えば仕事です。


でも私は「仕事」はしないと決めたので、今やっていることはどれも、やりたくてやってたらなんかお金も結構もらえた〜、でしかないのでした。


ありがたいことだし、幸せなことだなあという、そんなありふれたお話です。


しかし「仕事」をしないと決めてから随分楽になりました。「仕事」をしていた時に比べると原稿の提出も随分まともです。主に期日に関してですが。いや、まさか早まるなんてことはありません。でも、まともなんです。不思議ですね。「仕事」だった時こそまともにやればよかったものを。


まともになってきたおかげでようやく『稽古』をするスペースを自分の中に作ることができました。今度有志にお集まりいただき、『稽古』をすることにしました。本番の無い、ただ稽古をするだけの『稽古』です。とても贅沢な時間です。


稽古すらできなかったことにコロナはあまり関係がありません。私には育児と年齢から来る身体の変化かな、そちらの方が圧倒的に大きいものでした。それらによって、自分のためだけに使われていた時間がおそらく5分の1程度には減りました。


でも流石にそれを素直に受け入れることはできないんですよね。だからとても疲れました。疲れたくない一心で、それはまあ地味で臆病な改革を、あれこれと試してきました。改革が続かないことにもう一回り大きく疲れたこともありました。そのことは、これまでの投稿から垣間見ることもできるかもしれませんが、それら試行錯誤の点が、ようやく少しずつ繋がって、か細いながらも線を描き始めたのかもしれないなと思う、年の始まりでした。


どの作業も楽しいのです。楽しくない事がない。これがもうとにかく画期的でした。とくに原稿作業については、「書くのはつらいよ」がお決まりの私でしたのに。さあ今日も書くぞと思っている。驚きです。


まあ、勢いはずっと同じペースで続くはずもなく、今は少し疲れが出ています。でも、時間が思うようにならないという疲れではなく、やりたいことやってばかりいても結局疲れるよねという疲れなので、気持ちは悪くありません。疲れを自覚した時は無理に高度を上げません。低空飛行でも着実に進む方を選びます。かっこつけるより、楽しむ方を優先したいのです。


そして今は低空飛行の時のルートの取り方を試しています。ペース上がんねえ…!とは考えず、低い高度の楽しみ方を覚えようとしています。勢いのある時よりもむしろ実のある作業になっているかもしれません。


なにが言いたいのか結局まとまりませんが、息抜きしなければならないほど、私は息を殺してなにかをしてはいないんだなということでした。長年の趣味がないという悩みも、これ以上持ち歩く必要はなさそうです。


だって、そりゃあ息は止めちゃいけませんよ。

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