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母の介護の合間に書き始めた俳句が、いつしか俳句の合間の介護に…。そんなゆる~い介護を『…

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母の介護の合間に書き始めた俳句が、いつしか俳句の合間の介護に…。そんなゆる~い介護を『俳介護』と名付けて、ブログ「喜怒哀”楽”の俳介護http://haikaigo.com/」で公開中。ブログで公開していない俳句・短歌・詩・エッセイ等をこの「喜怒哀”楽”の俳介護+」で公開します。

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固定された記事

お知らせ「今日から『喜怒哀”楽”の俳介護+』に」

介護の合間の俳句が、しばしば俳句の合間の介護になるゆる~い介護を『俳介護』と名付けて、作品を発表していく予定にしておりましたが、実はすでに「喜怒哀”楽”の徘介護…

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5か月前
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詩「つねに戦前」

戦前を生きる子どもたちへⅠ 私は<美しい>国を望まない 空も海も山も河も 私は<豊かな>国を望まない 金も物も知識も食糧も 私は<文化のある>国を望まない 造形物も…

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9時間前
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短歌「世界の見え方」

蟻の目に映る世界は知るべくもなけれど母のそを知らるれば 『認知症世界の歩き方』(ライツ社)という本に出会って、いままで疑問に思っていたことのいくつかに示唆が得ら…

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1日前
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俳句「冷たい砂糖」

夏めくや舌に冷たき和三盆  舌の乗せたとき「冷たい」と感じるのは、私だけではないようだ。小学館のコミックス『美味しんぼ』第3巻第2話「和菓子の創意」に、和三盆の…

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2日前
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俳句「訪問理容」

髪切りて笑みこぼれたり初夏の母  鏡で見た顔を自分の顔だと認識したのは久しぶりなのだろう。洗面所にも鏡はあるが、朝晩の歯磨きのときに鏡に映る顔を、母がどれくらい…

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3日前
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短歌「苺という字」

はつなつの苺香れるわが家のくさかんむりは今も父なり  母が話しかけたり、呼んだりする相手は、断トツで「お父さん」「おとちゃん」である。ときどき「お母さん」と言う…

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4日前
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俳句「睡る母」

行く春を惜しみもせずに母は睡る  まあ、季節をわすれた人だから、惜しむもなにもないが……。それにしてもよく眠るものだ。あまりに静かなので、心配になって何度か様子…

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5日前
3

俳句「逝く春」

蜜蜂の骸抱きて春爛漫  若い頃から、なぜか春に死のイメージを重ねてしまう。学生の頃、仲間たちとつくった同人誌にも「葬春」と題した15編の三行詩を書いている。  …

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6日前
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詩「忘れても心は亡ばない」

こころの容量 記憶を喪っているのではなく 記憶を残しているのだ 母にとって一番大切な記憶だけを こころの容量が 小さくなったから

@haikaigo
7日前
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短歌「情は述べる」

うれしきと書きかなしきと書くことに躊躇ひもなし母生ける間は  俳句では直接感情を表現することばを使うなとか、短歌では本当に言いたいことはことばにするなとか、俳句…

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8日前
2

俳句「いちご今昔」

甘からず苺も恋も昭和の日  今年もわが家の苺が実った。今年もまた酸っぱい。プランターで作るようになってから4年になるが、いまだに甘い苺が作れない。ただ、昔の苺は…

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9日前
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俳句「遊びは学び」

雀の子学びと遊び分かちなし  私は国語専科の学習塾を開いている。塾の窓に毎年貼り紙をするのだが、コロナ禍の2020年に「テストの点は変わりません」「考え方が変わ…

@haikaigo
10日前

短歌「さまざまな椅子」

さまざまの種類の椅子の増えゆける母の衰へ追ひかくるごと  わが家には実にさまざまな椅子がある。大きなマッサージチェア、二人がけのソファー、入浴介護用の椅子、手摺…

@haikaigo
11日前
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俳句「消えゆく街」

黄砂降るいづれは消ゆる街消して  いま栄えている街でも、二、三十年前までは田園だったとか、四、五十年前まで栄えていた街がいまは閑散としたアーケード街だとかいう場…

@haikaigo
12日前
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俳句「満ちれば欠ける」

昇るのか降るのか死は春満月  死というのは天に昇ることだろうか。それとも地に降ることだろうか。天国を思うと、死ぬとは天に昇ること、地獄を思うと、死ぬとは地に降る…

@haikaigo
13日前
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詩「どこか、誰かへ」

内なる声 心の深いところに 底はなく どこか遠いところに 通じているのではないか たとえば銀河の星の一つとか あるいは私を包んでいると 思っていたものは 実は私の内に…

@haikaigo
2週間前
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お知らせ「今日から『喜怒哀”楽”の俳介護+』に」

お知らせ「今日から『喜怒哀”楽”の俳介護+』に」

介護の合間の俳句が、しばしば俳句の合間の介護になるゆる~い介護を『俳介護』と名付けて、作品を発表していく予定にしておりましたが、実はすでに「喜怒哀”楽”の徘介護」(http://haikaigo.com)というブログを立ち上げておりますので、今日からはnoteでの作品はブログの作品と重複しないよう、ブログには掲載していない俳句や文章、短歌、詩などを発表していくことにいたします。すでに発表した4句は

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詩「つねに戦前」

戦前を生きる子どもたちへⅠ

私は<美しい>国を望まない
空も海も山も河も
私は<豊かな>国を望まない
金も物も知識も食糧も
私は<文化のある>国を望まない
造形物も伝統も教養も振舞いも

そのような国になるために
「   年間」護ってきたものを
手放すことになるなら・・・・・・

蒼い瞳の子どもたちよ
君たちはこの世界の<秩序>のために
誰かに向けて銃の引き金をひくかも知れない
黒い肌の子どもた

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短歌「世界の見え方」

短歌「世界の見え方」

蟻の目に映る世界は知るべくもなけれど母のそを知らるれば

『認知症世界の歩き方』(ライツ社)という本に出会って、いままで疑問に思っていたことのいくつかに示唆が得られた。例えば、姉や私の世界の見え方と母の世界の見え方にはずれが生じている場合があるらしい。物の見え方が違うのなら、理解できない言動をとることも納得できる。あるいは、ときどき母にかじられるテディベアは、母の目にはパンに見えているのかも知れな

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俳句「冷たい砂糖」

俳句「冷たい砂糖」

夏めくや舌に冷たき和三盆

 舌の乗せたとき「冷たい」と感じるのは、私だけではないようだ。小学館のコミックス『美味しんぼ』第3巻第2話「和菓子の創意」に、和三盆の味は「ひんやりと舌がすずしいような感じがする」とある。和三盆は、香川や徳島で作られる高級砂糖だ。製造工程をテレビで観たことがあるが、砂糖の塊を職人が手で揉む「研ぎ」と呼ばれる作業があり、大変な手間がかかる。茶道で薄茶とともに供される干菓子

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俳句「訪問理容」

俳句「訪問理容」

髪切りて笑みこぼれたり初夏の母

 鏡で見た顔を自分の顔だと認識したのは久しぶりなのだろう。洗面所にも鏡はあるが、朝晩の歯磨きのときに鏡に映る顔を、母がどれくらい自分の顔と認識しているかは定かではない。だが、この日、訪問理容で髪を切ってもらって、「ほら、お母さん、きれいになったで」と姉が母の顔の前に鏡を差し出したときの笑顔は、明らかにそこに自分の顔が写っていると分かっている笑顔だった。実際、髪を切

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短歌「苺という字」

短歌「苺という字」

はつなつの苺香れるわが家のくさかんむりは今も父なり

 母が話しかけたり、呼んだりする相手は、断トツで「お父さん」「おとちゃん」である。ときどき「お母さん」と言うこともあるので、この「お父さん」が私の父(つまり母の夫)ではなく、祖父のこともあるのかも知れないが、状況から考えると、ほとんどは父のことではないかと思われる。どこかが痛むとき、目覚めて近くに誰もいないとき、ふとしたとき、母は父を呼ぶ。その

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俳句「睡る母」

俳句「睡る母」

行く春を惜しみもせずに母は睡る

 まあ、季節をわすれた人だから、惜しむもなにもないが……。それにしてもよく眠るものだ。あまりに静かなので、心配になって何度か様子を見に行ったが、なかなか安らかな顔をしている。
 黒田杏子に「花三分睡りていのち継ぐ母に」清水哲男の『増殖する俳句歳時記』の解説によると、この句の母は病臥していて、作者には母がひたすら「いのち継ぐ」ためにのみ睡っているように写っているとこ

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俳句「逝く春」

蜜蜂の骸抱きて春爛漫

 若い頃から、なぜか春に死のイメージを重ねてしまう。学生の頃、仲間たちとつくった同人誌にも「葬春」と題した15編の三行詩を書いている。
   虚音
春の死臭のする部屋で
彼女を抱けば
冬の白骨の折れる音がする 
 と、いうようないま読めば、イメージだけで作った、それこそ「虚」の詩ばかりだが、虚勢や屈折のある若い頃でなければ書けないものだとも思う。
 いまはもう虚勢も屈折もな

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詩「忘れても心は亡ばない」

詩「忘れても心は亡ばない」

こころの容量

記憶を喪っているのではなく
記憶を残しているのだ
母にとって一番大切な記憶だけを
こころの容量が
小さくなったから

短歌「情は述べる」

短歌「情は述べる」

うれしきと書きかなしきと書くことに躊躇ひもなし母生ける間は

 俳句では直接感情を表現することばを使うなとか、短歌では本当に言いたいことはことばにするなとか、俳句や短歌では心情語を抑制せよと説かれることが多い。“上達”のための心得として、それに類する教えをあちらこちらで見聞した。
 だが、「俳介護」を勧める立場からは、まずは胸の中にある心情がことばになったのなら、それを文字として書き留めておくこと

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俳句「いちご今昔」

俳句「いちご今昔」

甘からず苺も恋も昭和の日

 今年もわが家の苺が実った。今年もまた酸っぱい。プランターで作るようになってから4年になるが、いまだに甘い苺が作れない。ただ、昔の苺はこんなものだった。平成・令和生まれの人たちには想像も出来ないだろうが、苺に練乳をかけたり、潰して牛乳と砂糖を混ぜたりして食べることも多かった。苺を潰すためのスプーンだって売られていた。品種改良によって、苺は甘く大きくなって、練乳も砂糖も不

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俳句「遊びは学び」

俳句「遊びは学び」

雀の子学びと遊び分かちなし

 私は国語専科の学習塾を開いている。塾の窓に毎年貼り紙をするのだが、コロナ禍の2020年に「テストの点は変わりません」「考え方が変わります」という貼り紙を貼ったら、知り合いの英語塾の先生が「一本筋を通して、開設以来同じ姿勢で教え続けて見事」と自身のフェイスブックで紹介してくださった。もっとも、こちらは同じ姿勢どころか毎年試行錯誤、ぶれまくりもいいとこなので赤面した。な

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短歌「さまざまな椅子」

短歌「さまざまな椅子」

さまざまの種類の椅子の増えゆける母の衰へ追ひかくるごと

 わが家には実にさまざまな椅子がある。大きなマッサージチェア、二人がけのソファー、入浴介護用の椅子、手摺りのある椅子、手摺りのない椅子、回転する椅子、回転しない椅子……。これらは少しでも母が楽に生活できるようにと、その都度購入したものだ。例えば、立ったり、座ったりするとき楽なようにと座面が回転する椅子を買った。椅子に座ってばかりだと辛かろう

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俳句「消えゆく街」

俳句「消えゆく街」

黄砂降るいづれは消ゆる街消して

 いま栄えている街でも、二、三十年前までは田園だったとか、四、五十年前まで栄えていた街がいまは閑散としたアーケード街だとかいう場所は日本中あちこちにあるだろう。二百年、三百年とかいうサイクルで見れば、跡形もなく街が消えた場所だってあるに違いない。そこで生まれ育った人やそこに思い出をもつ人にとって、その場所が姿を変えることはさみしいことだが(さらには、いまそこで暮ら

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俳句「満ちれば欠ける」

俳句「満ちれば欠ける」

昇るのか降るのか死は春満月

 死というのは天に昇ることだろうか。それとも地に降ることだろうか。天国を思うと、死ぬとは天に昇ること、地獄を思うと、死ぬとは地に降ること、のようにも思われる。また、火葬だと少なくとも魂は天に昇るようにも思えるし、土葬だと少なくとも肉体は地に降っていくようにも思える。

 「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」と孔子は言ったとされる。確かに死など考えるよりいまをどう

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詩「どこか、誰かへ」

詩「どこか、誰かへ」

内なる声

心の深いところに
底はなく
どこか遠いところに
通じているのではないか
たとえば銀河の星の一つとか

あるいは私を包んでいると
思っていたものは
実は私の内にあって
しかも無限の広がりを
持っているのではないか

そしてある日
私の心の岸辺に
亡き父からの投壜通信が流れつく
否、正しくは
在りし日の父からの

内なる声は
どこで生まれる?
閉じられた私の頭蓋の中か
それとも開かれた

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