@haikaigo

母の介護の合間に書き始めた俳句が、いつしか俳句の合間の介護に…。そんなゆる~い介護を『…

@haikaigo

母の介護の合間に書き始めた俳句が、いつしか俳句の合間の介護に…。そんなゆる~い介護を『俳介護』と名付けて、ブログ「喜怒哀”楽”の俳介護http://haikaigo.com/」で公開中。ブログで公開していない俳句・短歌・詩・エッセイ等をこの「喜怒哀”楽”の俳介護+」で公開します。

最近の記事

  • 固定された記事

お知らせ「今日から『喜怒哀”楽”の俳介護+』に」

介護の合間の俳句が、しばしば俳句の合間の介護になるゆる~い介護を『俳介護』と名付けて、作品を発表していく予定にしておりましたが、実はすでに「喜怒哀”楽”の徘介護」(http://haikaigo.com)というブログを立ち上げておりますので、今日からはnoteでの作品はブログの作品と重複しないよう、ブログには掲載していない俳句や文章、短歌、詩などを発表していくことにいたします。すでに発表した4句は、ブログと重複しておりますが、”スキ”をつけていただいた方もおられますので、その

    • 詩「こころの浅瀬で」

      ぼくは泳げない ぼくは泳げない だから こころの奥深く もぐろうとすると 怖い…… 光の届かない水の底は 息苦しくて ぼくは泳げない だから こころの浅瀬に とどまっているけれど 怖い…… 水面に照りつける太陽の光は 眩しすぎて ぼくは泳げない だから 自分の居場所を見つけようと 詩を書く そうして こころの海を 泳いできたけれど 実のところは 溺れているのかもしれない

      • 短歌「プロにはなりたくない」

        乱暴に母転がしておむつ替ふ介護のプロになりたくなくて  家族であっても、介護の知識や技術は必要だ。間違った介護の仕方で不快な思いをさせてしまったり、最悪の場合は怪我をさせてしまったりするかも知れないから、知識や技術を否定しているわけではない。ましてや、わが家もお世話になっている介護のプロの方々を否定しているわけではない。  ただ、私自身はプロのような知識をもったり、プロのように手際よく介助したりしたくないと思う。そんなふうになると、介護が仕事になってしまうような気がする。

        • 俳句「芋たこなんきん」

          母は蛸好まざれども半夏生  半夏生に蛸を食べる習慣は関西のものらしいが、私の生まれ育った和歌山県の山間の町にはなかった。いまほど流通が発達していなかった時代は、山間では新鮮な海産物が手に入りにくかったことも理由かも知れない。  元来の習慣にないことなので、今日蛸を食べることにあまりこだわりはない。ただ、せっかくの機会だから今日は蛸を食べるのも悪くない。もっとも老母は昔から蛸を好まない。ましていまは、歯ごたえのある蛸を食べるのはむずかしい。  「芋たこなんきん」ということ

        • 固定された記事

        お知らせ「今日から『喜怒哀”楽”の俳介護+』に」

          俳句「睡眠負債の利息だけでも・・・」

          看護師が母を看る間の昼寝かな  母は夜によく眠るようになった。以前はあけぼ近くまで眠らなかったり、夜中に痛がって目を覚ましたりする日も多かった。隣で眠っていた父は夜中に何度も起こされて、本当につらかったと思う。父が亡くなってからは、私が隣に眠るようになったが、昼夜逆転したり、痛みを訴えたりする回数は減って、父のときほどは夜中に起こされなくなった。もっとも、私が父より鈍感で、母が痛みを訴えていても気づかずに眠っているということかも知れないが……。  とは言え、訪問看護師さん

          俳句「睡眠負債の利息だけでも・・・」

          短歌「人は変わる、人は変わらない」

          食べたかな? 疑問形で言ふ母よろし食べてをらぬと断定せずに  認知症になって、親の性格が一変してしまった。そう嘆く声を聞いたことがある。だが、考えようによっては、認知症になってからの性格が本来その人のもつ性格だったと捉えることも出来るのではないか。  父の最晩年は怒りっぽくなって、今まで声を荒らげることの少なかった父が、ちょっとしたことで怒り出すことがあって困惑した。自分の頭や身体が思い通りにいかないもどかしさや薬の影響もあったかも知れない。一方で、むしろ今まで父は、腹の立

          短歌「人は変わる、人は変わらない」

          俳句「苔の緑」

          庭苔に小島大陸さみだるる  わが家の裏庭にはスナゴケが生えている。私が茶道を習っていた頃、裏庭に茶庭めいたものを作ろうと思って、あちこちで採ってきたものだ。一坪足らずのせまいスペースだが、それでも飛び石の間を埋め尽くすほどの量はとても集められなくて、小島のように点々と生えていたものがいつのまにか殖えて、ずいぶんと大きな島になった。いまでは大陸と呼べるくらい大きな塊もできた。  こちらは家庭菜園の野菜のように食べることを目的としたものではなく、100%観賞用である。ご存じの

          俳句「苔の緑」

          俳句「山崎与次兵衛」

          智を愛し薔薇育みて暮らす友  友は哲学科の出身である。哲学者=フィロソファーとは、「智を愛する者」という意味だそうだ。彼の現在の職業はソフトウェア技術者だが、哲学科出身だからということではなく、智を愛する者という意味で彼は本質的に哲学者である。と同時に彼は、作曲家マーラーと三輪眞弘の研究者でもある。  その彼が10有余年にわたって、書き続けてきたWebページの一部を、今回noteでも公開することになった。興味のある方は『山崎与次兵衛』で検索を……。  彼はまた薔薇を育ててい

          俳句「山崎与次兵衛」

          詩「半分では足りない・・・」

          問題は、それではない 老母と私は毎日一本のバナナを 半分に分けて食べる 太いバナナや長いバナナだけでなく 細いバナナや短いバナナでも半分 だが問題は、それではない 私はいつもバナナを 正しく二等分できない 51対49になってしまう 技術的にではなく心理的に だが問題は、それではない 100分の51のバナナと 100分の49のバナナがあるとき 私は51のバナナをとる それも毎日 だが問題は、それではない 人の世の争いのもとは この51を求める心ではなかろうか 51

          詩「半分では足りない・・・」

          短歌「おむつ交換」

          もろこしを焼くごと右へ左へとおむつ替へんと母をころがす  3年前にこんな歌を詠んでいる。「おむつ替ふ「うんと尻上げて」と言へば「うん」と尻上ぐ母は九十」  寝ている状態でパンツ型の紙おむつを穿かすには尻を上げてもらう必要がある。この歌から3年、母は尻を上げることが難しくなった。それで今はパンツに足を通してから横になってもらって半分パンツを引き上げ、反対側を向いてもらってもう半分を引き上げるという方法をとっている。ズボン下やズボンも同じように穿いてもらうので、何度も右左と向

          短歌「おむつ交換」

          俳句「ムグンファ」

          木槿咲きひと日限りの仲直り  艶やかさと清楚さを併せもつ木槿は、韓国の国花であるという。朝鮮語では「ムグンファ」というそうで、「ムグン」とは「永遠・無限の豊かさ」を意味するそうだ。( 世界雑学ノート (world-note.com))  茶道を習っていた頃、宗旦木槿と呼ばれる白い花びらの中心の赤い一重咲きの木槿は、夏の茶席で折々見かけた。茶花の中でも大好きな花の一つだ。  この花は一日花で、朝咲いて夕方には萎んでしまうが、何か韓国と日本との関係のようで切ない。そのときど

          俳句「ムグンファ」

          俳句「迷いつつも・・・公開」

           物干に啼きをる鳩や沖縄忌  noteでは毎日何かしら発信していきたいと考えているので、特に俳句に関してはできる限り時宜にかなうものにしたいとは考えている。ただ、それが曲がりなりにも読むに足るものかどうかは別問題で、結局はたとえば母の日に母の日の句を公開した、それだけのことになってしまっている場合もほとんどかも知れない。特に、今回の「沖縄忌」のような題材となると、季語の現場に足を運んだこともなければ、知識も乏しく、直接そういった話を聴いた経験もないことを鑑みると、果たして自

          俳句「迷いつつも・・・公開」

          「この二語があれば・・・」

          うれしいとおいしいといふ二語のみに老母はわれを幸せにする  会話がことばのキャッチボールだとしたら、母も私も互いに暴投ばかりしている。あるいは投げられたボールをいつも捕球しそこねている。単語レベルだと分かるが、文に近いものはほとんど何を言わんとしているか分からない。また、文としては分かるがどう対処していいか分からないこともある。たとえば、痛いというので「どこが痛い?」と訊くと、ぬいぐるみを指さして「ここが痛い」……。仕方ないので、ぬいぐるみを撫でたりする。  それでも、「

          「この二語があれば・・・」

          俳句「どんなに科学が進んでも・・・」

          変節の梅雨いきなり刀抜く  日本の気候が変わりつつある。これまでこの季節の大雨は梅雨の末期に集中していたのに、ここ数年は梅雨になっていきなりの大雨や、梅雨が始まる前の大雨も少なくない。もっとも千年というような単位で見れば、これはイレギュラーであって、いずれは落ち着いていくのかも知れないが……。  それにしても昨今の大雨はこの時期に限ったことではなく、春夏秋冬、いつどこでゲリラ豪雨が発生するか分からない。まるで道を歩いていて、いきなり刀を抜かれるようなもので、剣呑なこと極ま

          俳句「どんなに科学が進んでも・・・」

          俳句「いつもあるのに・・・」

          枇杷熟れてまた思ひ出す此処に枇杷  枇杷の木は意外なところ生えている。鴉などが実を食べて、あちこちに種を落とすなどして増えていくらしい。だが、私だけだろうか。黄橙色の実が木に灯るこの季節には、「あっ、ここにも枇杷の木がある!」と心に留めるのに、実がなくなるとその存在を忘れてしまう。たとえば、栗や石榴の実は枇杷よりもずっと地味なのに、もうすこし木の存在を覚えているような気がする。もっとも、これは枇杷の木が、思いの外あちらこちらにある、ということなのかも知れない。  本当はずっ

          俳句「いつもあるのに・・・」

          詩「お帰り」

          旅人と暮らす 母は時空の旅人 亡き祖父母とも 亡き姉や妹とも 亡き夫とも会える あるいは 未来に出会う人々とも 会っているかも知れない そんな母と暮らす私は <いま>を動けず 母の帰りを待つのみだ お帰り 楽しい旅だったかい? お腹はすいてない? いま、ご飯にするね

          詩「お帰り」