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母の介護の合間に書き始めた俳句が、いつしか俳句の合間の介護に…。そんなゆる~い介護を『…

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母の介護の合間に書き始めた俳句が、いつしか俳句の合間の介護に…。そんなゆる~い介護を『俳介護』と名付けて、ブログ「喜怒哀”楽”の俳介護http://haikaigo.com/」で公開中。ブログで公開していない俳句・短歌・詩・エッセイ等をこの「喜怒哀”楽”の俳介護+」で公開します。

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お知らせ「今日から『喜怒哀”楽”の俳介護+』に」

介護の合間の俳句が、しばしば俳句の合間の介護になるゆる~い介護を『俳介護』と名付けて、作品を発表していく予定にしておりましたが、実はすでに「喜怒哀”楽”の徘介護」(http://haikaigo.com)というブログを立ち上げておりますので、今日からはnoteでの作品はブログの作品と重複しないよう、ブログには掲載していない俳句や文章、短歌、詩などを発表していくことにいたします。すでに発表した4句は、ブログと重複しておりますが、”スキ”をつけていただいた方もおられますので、その

    • 短歌「さまざまな椅子」

      さまざまの種類の椅子の増えゆける母の衰へ追ひかくるごと  わが家には実にさまざまな椅子がある。大きなマッサージチェア、二人がけのソファー、入浴介護用の椅子、手摺りのある椅子、手摺りのない椅子、回転する椅子、回転しない椅子……。これらは少しでも母が楽に生活できるようにと、その都度購入したものだ。例えば、立ったり、座ったりするとき楽なようにと座面が回転する椅子を買った。椅子に座ってばかりだと辛かろうと横になれるソファーを買った。しかし、母の衰えが進むと回転することが逆に危険だっ

      • 俳句「消えゆく街」

        黄砂降るいづれは消ゆる街消して  いま栄えている街でも、二、三十年前までは田園だったとか、四、五十年前まで栄えていた街がいまは閑散としたアーケード街だとかいう場所は日本中あちこちにあるだろう。二百年、三百年とかいうサイクルで見れば、跡形もなく街が消えた場所だってあるに違いない。そこで生まれ育った人やそこに思い出をもつ人にとって、その場所が姿を変えることはさみしいことだが(さらには、いまそこで暮らす人にとっては単なる感懐では済ませられない問題だが)栄枯盛衰の理は、『平家物語』

        • 俳句「満ちれば欠ける」

          昇るのか降るのか死は春満月  死というのは天に昇ることだろうか。それとも地に降ることだろうか。天国を思うと、死ぬとは天に昇ること、地獄を思うと、死ぬとは地に降ること、のようにも思われる。また、火葬だと少なくとも魂は天に昇るようにも思えるし、土葬だと少なくとも肉体は地に降っていくようにも思える。  「いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん」と孔子は言ったとされる。確かに死など考えるよりいまをどう生きるのか考えるほうが大切かも知れないが、死を考えることは生を考えることでもある

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        お知らせ「今日から『喜怒哀”楽”の俳介護+』に」

          詩「どこか、誰かへ」

          内なる声 心の深いところに 底はなく どこか遠いところに 通じているのではないか たとえば銀河の星の一つとか あるいは私を包んでいると 思っていたものは 実は私の内にあって しかも無限の広がりを 持っているのではないか そしてある日 私の心の岸辺に 亡き父からの投壜通信が流れつく 否、正しくは 在りし日の父からの 内なる声は どこで生まれる? 閉じられた私の頭蓋の中か それとも開かれた 時空のどこかか いずれにせよ それが内なる声ならば もはやそれは私一人のものでは

          詩「どこか、誰かへ」

          短歌「どこかに」

          ケア終えて宿題せむとする子等もこの春灯のどこかにあるらむ  春の灯ということばから夕食を囲む家族の上に灯る明かりをイメージすると少し前に綴った。だが、もちろん春灯がそんな微笑ましい場面ばかりを照らしている訳ではない。  昨日のNHKの番組「あさイチ」のテーマは「介護経験者1000人の声」というものだった。そこに登場したアナウンサーやタレントのお話を視聴して、この方々もそうだったのかと、改めて家族のケアをしている人の多いことを実感した。大人に、「この方もそうだったのか……」

          短歌「どこかに」

          俳句「母がくれたもの」

          手の平に老母呉れたる朧かな  母が虚空をつまんで、私のほうへゆっくりと差し出す。「くれるん? おおきに」と言って、私はそれを受け取る。手の平の上には当然なにもない。いや、なにもないのではなく、母がくれたものが確かにあるが、私の目には見えない。あるいはそれは、100円玉とか1000円札とかの小遣いであったのかも知れない。またあるいは、飴玉や煎餅などのお菓子であったのかも知れない。それとも、母自身もなにか分かっていないものだったのかも知れない。  だが、それがなんであれ、母が

          俳句「母がくれたもの」

          俳句「老いて残るもの」

          母と子のあはひに立てる朧かな  ここに二つの朧がある。認知症の母とその子どもである私を隔てる朧と、母からはもう子どもと認識されることはほとんどなくて、子どもなのか他人なのか、中途半端な立ち位置にいる私の朧……。  ここに到るまではいろいろ葛藤もあったけれど、いや、いまも葛藤がないわけではないけれど、これもまた悪くはない。例えば、朧月には、秋の月のような美しさや冬の月のような鋭さはないけれど、なんとも言えぬ優しさがある。もちろん美しさや賢さと優しさは両立しえないものではある

          俳句「老いて残るもの」

          短歌「おはよう」

          今日はぼくの誕生日だと母に言へば掛けてくれたことばは「おはよう」  母の語彙が痩せていく。それに伴って、言い間違いも増えた。例えば、「おいしい」を「うつくしい」と言ったり、「気持ちいい」を「かわいい」と言ったりする。その他には、ことばの一部だけが元のことばで、あとは別のことばの場合もある。私の名前は「ゆきひこ」だが、よく「ゆうこ」と呼ばれる。この場合は、母の妹の「ようこ」と混同しているのか、「ゆきひこ」と言おうとして言い間違えるのかは、はっきりしない時もあるが……。  この

          短歌「おはよう」

          俳句「団欒の灯」

          春の灯のどれも円居に見ゆるかな  春灯という語には、なんとも言えぬ温かみがある。私は、夕食を囲む家族の上に灯る明かりをイメージする。十三歳のときに私立中学進学のため家を出た私は、四十歳のときにまた両親と一緒に暮らすことになった。なにより嬉しかったのは、夕食の膳を囲めることだった。父とはほぼ毎晩一緒に酒を飲んだ。  父が圧迫骨折になったとき、認知症もあったので当初は家で療養する予定だった。それが全く動けなくなって、仕方なく入院した直後に新型コロナウィルスの流行により付き添い

          俳句「団欒の灯」

          俳句「準備期間」

          桜蘂降りて御仏父を召す  父の死は、4年前の6月初旬。桜蘂の降る頃ではなかった。だが、もうその頃に仏様は父を呼んでいたのではないか。圧迫骨折で父が入院したのは3月中旬。認知症の症状も進んできていたから、母のときと同じように病室に泊まり込むつもりだったが、新型コロナウィルスの流行によりそれが叶わなかった。面会も制限され、ほとんど会えないまま1ヶ月が過ぎ、退院についての打ち合わせの際ようやく会えたが、父は見る影もなく衰えていた。  それから死ぬまでの2ヶ月足らずは、父が仏様の

          俳句「準備期間」

          詩「噛み合わない」

          く・い・ちがい 天秤というものは どこかで釣り合いがとれるか 一方に傾くか いずれにせよ動きを止めるものなのに 老いた親と共に暮らせる喜びと 衰えていく親を見続ける辛さで 僕の天秤はずっと揺れ続けていて 動きを止めることがない それは詰まるところ覚悟の 問題ではあるのだが 覚悟がないのではなく 覚悟が挫折をくり返すのだ そんな覚悟は覚悟ではないと 言う人もいるだろうが 覚悟ではなく介護の問題なのだと 人の子である僕は言いたい

          詩「噛み合わない」

          短歌「おむつの尿」

          紙おむつに尿のたまるはいかなるかと われもおむつに尿をしてみる  母に申し訳なかった。夜中にトイレに行きたいと訴えるのに、眠くて眠くてしょうがなくて、「おむつ履いてるから、おむつにしてよ」と言ったこと。まだ母が立てた頃だったから、連れていってやれば良かった。  無意識に漏れてしまうのではなく、トイレに行きたいと思っているのに、行けないのは辛かっただろう。母のこころに寄り添いたいと思いつつ、いつも自分を優先させてしまう。  試しに自分も紙おむつを履いて、おしっこをしてみた

          短歌「おむつの尿」

          俳句「さっきまで・・・」

          食む音のやがて鼾に蝶の昼  すこし目を離したら、もう眠っている。母のことを俳句に詠むと、寝息とか鼾とか、寝ているときの句ばかり増えていくような気もするが、これは母の眠っている間に作句するという「俳介護」の作句事情も関係しているかも知れない。  それでも「メマリー」という認知症薬を止めてから居眠りは減った。認知症薬で症状は緩和出来ても、治すことは出来ない。母はもう90歳も過ぎたから、せめて薬の量を減らしてやりたくて、主治医に相談して服用を止めたのだ。その他、2種類ほど薬を減

          俳句「さっきまで・・・」

          俳句「寝言だったのか……」

          起きてゐるやうな寝言や目借時  不思議だ。だんだんと発声が不明瞭になってきて、ことばが聴き取りにくいことも多いのに、一人でまぼろしに向かって話しかけている時や、寝言を言っている時のことばは明瞭で聞き取りやすい。まるで夢の世界のほうが現実で、現実の世界のほうが夢の世界であるかのように……。  でも、そういう時の母は楽しそうで、聞いているこちらまで口元が緩んでくる。夢だろうが現だろうが、笑顔でいられるなら、幸いである。  寝息も立てず熟睡している時には、もしや……と思って確

          俳句「寝言だったのか……」

          短歌「晴れの花」

          母病みて家居となりて桜とは晴れなる花と思ひけるかな  今年の桜も終わってしまった。と、言う感懐をここ数年毎年くり返している。いながら桜の見られる家に住む人は少ないだろうから、桜は「出かけて」見る花には違いない。かと言って日本に住んでいれば、日常生活の中で桜にまったく出会わないことも稀だろう。その意味で桜は非日常の晴れの花であると同時に、日常の褻の花ということも出来るのではないか。  だが、母の足が萎え、ごく近所でさえ気軽に出かけられなくなると、桜の特別感が増してきた。やは

          短歌「晴れの花」