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短歌「苺という字」

はつなつの苺香れるわが家のくさかんむりは今も父なり

 母が話しかけたり、呼んだりする相手は、断トツで「お父さん」「おとちゃん」である。ときどき「お母さん」と言うこともあるので、この「お父さん」が私の父(つまり母の夫)ではなく、祖父のこともあるのかも知れないが、状況から考えると、ほとんどは父のことではないかと思われる。どこかが痛むとき、目覚めて近くに誰もいないとき、ふとしたとき、母は父を呼ぶ。そのたび今も、父が母を守り支えているのだと感じる。
 「苺」という漢字は、母という字を「くさかんむり」が覆っている。まるで、くさかんむりが母を守っているかのようだ。わが家で母を守るくさんかんむりは、姉や私ではなく間違いなく亡き父である。

※ この作品は、『喜怒哀”楽”の俳介護』 https://haikaigo.com と同時公開です。時間の許す方は、ぜひこちらのページもご訪問を・・・。

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