世界最高のサウンドとは?「ジャマイカ~ロックステディ編~」
時は1994年、長年憧れの聖地であり、ダンスホール・レゲエのムーヴメントの頂点にあったジャマイカはキングストンへと向かった。
一緒にジャマイカ行きの飛行に乗ったカメラマンの友人ハルノは、以前にジャマイカに一人で旅行した際に三日間「誘拐・拉致」されたと言っていた。
飛行機がキングストン空港に着くや、ハルノは「ああ、また来ちゃったよ、、、」とヤツは苦い顔をしながら独り言を呟いていた。
空港からタクシーに乗り、海沿いを走っていると、ボロボロの廃屋の様なコンクリート造りの家が立ち並んでおり、この場所がただ事ではない予感が高まっていった。
無事にキングストンのフォーシズンズ・ホテルにチェックインすると、
すぐに我々はキングストンの街を散策した。
有名な「ラガマフィン服」の仕立て屋に行き、まずはシャツをオーダーして、キングストンのストリートに戻ると街が何やら騒がしい。
メインストリートにジャマイカ人たちが何百人も集まって大騒ぎをしている。
何やら先の方では「投石」が行われているようで、警官隊が詰め寄ってくると黒人たちの群れは波打つように踵を返して一斉に走り出した。
我々は気がついたらその騒乱の真っただ中に入ってしまい、危うくメインストリートの中央分離帯に避難した。
するとジャマイカ人の一人が「お前ら、何やってんだ!?逃げろ!」と叫んできた。
私は「オマエら何やってんだ?」と訊いたら、「バスの賃上げに対するデモだ!」と返事が返ってきた。
やれやれ。
我々は何とかそこから無事に非難すると、つづいてレコード屋に向かった。
ジャマイカのレコードは基本的に「7inch」のドーナツ盤で、
それをレコード屋の店員が「セリ売り」をする。
すなわち、7inch盤を店内で爆音で鳴らしながら、「コレ買うヤツいるか!?」と訊くと、「オレ買う!」と客が手を上げて売買成立となる。
我々も「セリ」に参加して、何枚かのダンスホール・レゲエの7inch盤を手に入れた。
我々はそのまま、かの有名な「トレンチ・タウン」へと向かった。
ボブ・マーレイの地元で有名な場所であるが、治安は最悪。
タクシーに乗るや否や、車の窓からジャマイカ人の輩が身体をねじ込んできて「ここは俺の地元だ!案内料をよこせ!」と凄んでくる。
事前に日本で「金は必ずせびられるから、小銭を用意しておくように」とのアドバイスがあったので、ポケットから2~3ジャマイカ・ドルを出して渡すとすぐに去って行った。
キングストンの街はほぼ99.99%が黒人。
もちろん日本人は我々二人、否、黒人以外は我々二人である。
キングストンの大通りは大層にぎわっていたが、我々は全身に緊張感を漲らせながら街を流していた。
すると、とある路地から出てきた黒人が近づいてきた。
「おい!お前ら、レゲエが好きなのか?だったらついてこい!」
と言われた。
我々は状況が把握できないまま、その男に言われるまま、キングストンの大通りから裏路地へと歩を進めた。
道路は未舗装の土、住宅の壁は「トタン」、まるで昭和30年代の日本映画に出てくるようなボロボロの裏路地である。
すると、トタンで出来た「掘っ立て小屋」にジャマイカ人が数人集まって、DJプレイをしていた。
そして、そのトタンの掘っ立て小屋の前にはかなり使い込まれたスピーカーがうず高く、2mほど積み上げられていた
我々は警戒したまま、案内のままにそのDJブースに近づいた。
案内人から「おい、全員にビール奢れ!」と言われたので、ジャマイカン・ビール「レッド・ストライプ」を全員に奢った。
すると、DJ(レゲエにおけるMC)のヤツがマイクを持つや、リヴァーヴをバリバリに効かせた音で(これがレゲエ・マナー)、
「日本からゲストが来たぜ!」と我々についてDJ(MC)を始めた。
我々は相変わらず狐につままれたような気分で、ビールを啜った。
そして、セレクター(レゲエにおけるDJ)が「ロック・ステディ」をスピンした。
「ロック・ステディ」とは、「スカ」を経て1966年~1968年頃に流行ったジャマイカのポピュラー音楽で、ジャズやジャイヴを母体とした「スカ」に対して、R&B~ソウルの「歌モノ」へと移行したものであり、その後「レゲエ」へと発展する。
目の前の路地に積まれたボロボロのスピーカーから流れるヴィンテージ・ロックステディ、
高音が後頭部を金槌で殴られたようにヒットすると、そのままジャマイカの真っ青に空高く吸い込まれるように突き抜け、
低音は地面を揺るがすほどでありながらも限りなくクリアであった。
日本のサウンドシステムも何十回と体験していたが、全く別物。
「ああ、これがレゲエの音か、、、」
と感慨に浸った。
すると、近所のおじいちゃんっぽい人がいきなりスピーカーの前で踊り始めた。
この世に「完璧なレゲエの踊り」があるとすれば、この日ここで目撃したものがそれであろう。
どこまでも高く突き抜ける高音と、地響きを立てながらも透明な低音の間で、おじいちゃんは気持ち良さそうに羽ばたいていた。
私はこの瞬間
「ああ、今、俺はレゲエの神髄に触れている、、、」
と全身が心地よい痺れに包まれた。
そして暫くの間、ビールを飲みながら極上のロックステディのサウンドに身を揺らした、、、
ひとしきり極上のレゲエ・サウンドを堪能すると、
「そろそろ帰るわ」とジャマイカ人たち告げてみた。
すると、3人ほど一緒に大通りまでついてきて、
「おい!また来いよ!」と言ってきた。
彼らのガンジャで真っ赤になった目を見ても何を考えているのかサッパリ分からなかったが、そのまま一緒に記念写真を撮って別れた。
「今のは何だったんだろうな?」と友人と話しながらその場を後にした。
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『カエル水泳教室』という絵本をご存じだろうか?
泳げない子供が、ある日、電信柱の下に貼られた「カエル水泳教室」という張り紙に導かれて狭い路地を進んでいくとそこにはカエルの水泳教室があり、その子供はそこでカエルに水泳を教わって泳げるようになる、という物語だ。
子供は泳げるようになってから「また行こう!」と思ったが、前あった張り紙も無くなっており、もう二度とそこには行けない、というオチである。
あの日のキングストンの路地はまるで「カエル水泳教室」のような不思議な異界旅行であった。
あの路地、あのスピーカー、あのおじいさん、、、
全部幻でした、というオチでも全く驚かないが、
あの日の極上のレゲエ・サウンドだけは、今でもハッキリと耳に、全身に残っている。
完。
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