田島悠史
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口述試験対策は幸せな時間だった
2022年1月23日(日)、15:12現在。
たった今、中小企業診断士二次口述試験を終え、近くのレストランで遅めのランチを兼ねて執筆している。
今日の口述試験の質問は4つ。メモとともに。
口述試験当日のスケジュール07:00-09:00:起床。諸々準備。スーツなど着用確認。
09:00-11:00:別件のプロジェクトの打ち合わせ。ここで事業再構築補助金の話が出る。早速実務従事の機会を確保し
みなとメディアミュージアムの成り立ちについて〜なぜ、どうやって生まれたか〜
0.はじめに茨城県ひたちなか市那珂湊でやっている小規模地域芸術祭「みなとメディアミュージアム」について「どうやって始めたんですか?」とか「なんで始めようと思ったんですか?」みたいなことをよく聞かれます。
聞いていただけるのは嬉しい一方で、調べりゃわかることを調べてないことを聞かれることも多いので、有料ページをつくっておこうかなと考えました。過去のことを何度も語るのも自分にとってあまり良いことでは
「寄り添えない者」へ花束をー選択的夫婦別姓の事例からー
長年、「多様性」という言葉は「いいこと」として考えられて来たけれど、実際に多様性が増してくると色々な摩擦が生まれるもんだな、と痛感している。色々と理由はあるんだろうけど、その大きな理由の一つに「自分とは違う者が隣にいることも不快」と思うケースがあるからなんだと思う。
その事例で思いつくのが最近、盛り上がっている選択的夫婦別姓のこと。先日、自民党の第5次男女共同参画基本計画の最終案から「選択的夫婦
北海道胆振東部地震の単純な記録と、ショックだった一つの言葉と、二つの教訓
2018年9月6日、北海道胆振東部地震が発生した。その24時間、忘れないうちに感じたこと、動いたことを記録していたので、公開しようと思う。また、巻末に有料で「その時言われたショックだったこと」「その時考えたこと」というのをまとめた。
2020年4月10日現在、新型コロナウイルスの被害はますます拡大している。東京では緊急事態宣言が発令された。北海道胆振東部地震の時、ぼくが体験したものをはるかに上回
「みなとメディアミュージアム」という分かりにくい名称について
11回目のMMM(みなとメディアミュージアム)が無事に終わって、はや3ヶ月。今年はとても良い年で、3年目を迎える実行委員も2年目を迎える実行委員もとても元気。
さて現在は色々と議論をしている。来年のMMM2020は現在のフレームワークを活かして開催するものの、MMM2021(仮)は大きく変えることになっている。その一つに「"みなとメディアミュージアム"という名称が分かりにくい。わかりやすい"那珂
「アート×まち」な視点から見るべき、2019秋の中小規模の芸術祭9選+α
はじめにぼくが事務局長をつとめた茨城県ひたちなか市の芸術祭みなとメディアミュージアム(MMM)2019が終わりました。残務処理と見なかったことにしていた別仕事の山を眼前にして、クラクラしている昨今の田島です。
さて、MMMには毎年、多くの実行委員が加入します。その中には芸術祭なんて知らなかった、そもそもアートに興味がなかった、という人もいます。そのため他を知らないことで悩んでしまったり、辛い思い
「ブレーキの効く」戦友が、アクセルを踏んだ、次の場所に向けて。
東京の職場(宝塚大学東京新宿キャンパス)の入試課長・金澤英樹さんが退職し、浅草の英会話カフェバー「Cafe Byron Bay(カフェバイロンベイ)」で働くことになりました。
経緯はこちらのクラウドファウンディング(camp-fire)のプロジェクトサイトが詳しい。6月29日(土)がプロジェクトの最終日です。みなさん、応援してやってください。
入試改革の思い出金澤さんとは、2017年の入試改革