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思春期エッセイ集

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思春期時代の短編エッセイ。 ・思春期草創期の幼稚園時代 ・思春期早期の小学校低学年時代 ・思春期前期の小学校高学年時代 ・思春期中期の中学校時代 ・思春期後期の高校時代までを描… もっと読む
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#エッセイ部門

消えた「もみあげ」を描く

消えた「もみあげ」を描く

初対面の人間に、特技を聞かれたときに困ってしまうのは「自慢しすぎていないか」、あるいは「格好つけすぎていないか」という要素を考えすぎてしまうからだ。

その点、僕は特技を聞かれれば、「フラフープを回すことが得意です」とか、「自分でセルフ散髪することが得意です」と即答することができる。フラフープを回すことより、「ギターが弾ける」とか「カラオケ」、「リフティング」とかの方が断然格好いいのだけれども、僕

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先輩にあいさつしたら舌打ちされた話

先輩にあいさつしたら舌打ちされた話

今の中学生たちを見ていると、上下関係は存在するもののそれは極めて緩やかなものに見えてならない。もちろんその組織や人によるのかもしれないが、僕が中学生だったときの今から約10年前と比べると、今の下級生たちは随分過ごしやすそうである。

僕が中1の頃、ぶかぶかの制服を着て歩く通学路には油断も隙もなかった。先輩と思われる人間には誰彼構わずあいさつをしなくてはならないという謎の風潮があったのだ。

僕は真

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セクシーボーイになりたかった

セクシーボーイになりたかった

高校1年生なんて今から8年前のことだから、その記憶はとっくのとうにセピア色である。青春とは常に過去で、中高生が「今、青春なんだ」とメタ認知することは限りなく難しい。言うなればその難易度は彼らが反抗期をメタ認知するのと同じことだ。

「部屋に入ってくるときくらいノックしろよ!俺、今思春期なんだからな!部屋で何してるか分かんねえ年頃なんだよ!」

「どうしてパパの下着と一緒に洗濯するの!?私、そういう

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拙者、価値ある落武者なりけり

拙者、価値ある落武者なりけり

僕は現在、これっぽっちも霊感というものがない。物心ついてから霊が見えたとか妖怪に出会ったとか、そんな経験があればエッセイとして「ほんとうにあった怖い話」が書けるのだが、幸か不幸か霊的な彼らを目撃した記憶はない。

しかし、僕たちは記憶にないだけで霊的な何かを既に目撃、あるいは遭遇しているのかもしれないし、悪霊なのか守護霊なのか分からないが無意識のうちに何かに取り憑かれているのかもしれない。

これ

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恋のカピチュレーション

恋のカピチュレーション

私立の高校に通っていた。公立の高校にあるのかは分からないが、僕の通っていた高校では数年に一度有名人による講演会が設けられていて、これが密かな楽しみであった。

僕が入学する前の年には林修先生が来たし、2年生のときにはゴルゴ松本が来て「命の授業」をしてくれた。

迎えた高校生活最期の年。誰が来るのか、はたまた誰も来ずに終わってしまうのか。期待と不安を胸に抱えていた。

その結果が分かったのはいつしか

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髪は短めで白髪です

髪は短めで白髪です

昔から若白髪に悩んできた。現在、22歳の僕の頭に白く光る髪の毛はその当時と比べるとかなり減ったが、小学生の高学年から中学生のときにかけてはその存在が目立った。

特に後頭部にその白髪は顕著に見られ、「若白髪郡」ともいえるほどの量があった。通常、青春というのは恋や友情で悩むのだろうが、僕の場合は白髪を起点にそれらに悩んできた。

「あーA子ちゃんに白髪見られて嫌われたくないなー」

「あーBのやつ、

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「ボク」と呼ばれるのが嫌いだった

「ボク」と呼ばれるのが嫌いだった

かつて、僕は「ボク」と他人から呼ばれてきた。
幼稚園から小学校高学年くらいまでだろう。期間限定且つ他人限定の二人称、「ボク」。
関西の人たちが二人称を「自分」と呼ぶ文化があるらしいが、この「ボク」という二人称は全国共通なのだろうか。

それにしても、「ボク」と呼ばれてきた人間が徐々に「ボク」と呼ばれなくなり、最近はもっぱら他人からの二人称は「あの、すいません」である。どこか寂しさを覚えるような二人

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好きな季節についての1分間スピーチ

好きな季節についての1分間スピーチ

1分間、教卓の前に立ってスピーチをする。所謂、「1分間スピーチ」というものが小学5年生の頃に存在した。

授業がすべて終了し、いよいよ放課後になろうとする直前の「帰りの会」にて毎回児童一人が教卓の前でスピーチを行う。30人とかそこらのクラスであったため、毎月一度は回って来る。

月一で訪れるその日は、まるでジョーカーが自分の手元に回ってきたような、陰鬱な気分になる。学校に行きたくないな、と思ったこ

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僕のアイドルが帰ってくる

僕のアイドルが帰ってくる

順風満帆の高校生活の時間の中で、部分的に悲壮感の漂う時間を過ごしたことがある。これは高校生や中学生といった思春期「ならでは」のものではない。年齢を問わず広く一般的に感じるものであると思っていた。だが、それは局地的なものであるようだった。

ーーー

僕が高校3年生のときのことだ。秋風が冷たくなってきた時節であると同時に、日本シリーズがホークス優勝で幕を閉じ、プロ野球への、いやカープ球団への寂しさが

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ウルトラ思春期文化祭

ウルトラ思春期文化祭

高校二年生の秋。この年の文化祭を、忘れることはできない。

僕が所属していた学級ではストラックアウトやら何やらを出し物として行った。その「何やら」については、忘れた。羞恥と共に吹き飛んだのである。

ストラックアウトとはご存じ、バッティングセンターの一番端にある的当てゲームである。弓道部に所属し、大の野球ファンの僕からすれば、ストラックアウトは輝ける場所だった。

迎えた文化祭当日。学年を問わず僕

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光合成崇拝

光合成崇拝

光合成を崇拝して止まなかった小学生が、はじめて光合成について知ったのは理科の実験室だった。

というそれぞれの条件のもと、四つの中でどの植物が元気か、どの植物が枯れたかを実験した。僕自身も昼休みを返上して理科室にある日光に当たる植物と当たらない植物それぞれに水やりに行ったから、10年以上経った今でもよく覚えている。

結論として分かったことは「水」と「日光」がなくては植物は生きていけない、というこ

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コンビニ小学生

コンビニ小学生

舌に衝撃が走った。恐ろしいほどまでにパンチが効いたバター。BTSも驚くほどの口いっぱいに旨味の重低音を響かせ広がる「Butter」。口に入れて正直困った——。この世界にこんなにも美味なものがあったとは知らなかったのだ。

小学校低学年の朝食時のことである。母は健康志向であったから、リンゴやミカン、バナナ、キウイといったフルーツを細かく刻んでミキサーにかけ、特性のスムージーを作る。僕は毎朝毎朝、それ

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蜘蛛の糸にしがみついて

蜘蛛の糸にしがみついて

困ったことに、わたくし貧弱である。よく周りの人間からは「スタイルがいいね」と言われるが、裏を返せば頼りない体型ということだ。

自称「BMIならBTS」を名乗れるこの頼りない体型。つまり「痩せ」こそ「美」みたいな社会的風潮のおかげでポジティブに変換することができるが、これが百年前とかだったらまた感じ取られ方は変わったことだろう。いかんせんネガティブイメージが強すぎることになりそうである。僕の体型に

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バナナは許される

バナナは許される

バナナは栄養価が高くて且つ美味だ。普通、食材を含めてモノにはポジティブな側面に付随して、ネガティブな側面というものが存在する。

例えば、お菓子や炭水化物なんかがこれに当てはまる。

しかしバナナはどうか。好き嫌いはあるだろうが、口に運んだときの食感がたまらない。

舌触りは柔らかで、自分の一口サイズを容易に決められる。噛んだ途端、肉のように肉汁は出ないのだが、肉汁のように口いっぱい広がる南国感と

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