斉藤 夏輝
「今」を生きる、いとぞ「ナウしき」エッセイ集。
変態的妄想コラム集(年齢制限なし)
斉藤夏輝によるカープ関連(だいすき)記事まとめ
「アメージング」がどの程度の強調表現かは分かりません。それでもアメージングな旅行記を書いてみた(つもり)。
23歳、小心者が行く波瀾万丈のスリランカ旅行記。
大学生という身分を失う10日前のこと。僕は大学生のうちにすべきことを考えていた。そんなことは大学1年生のときから綿密に考えるべきというのはよく分かっていたが、人は期日に差し迫ったときにようやく本気になれるというものである。 旅に出たい。積読になっている本を読みたい。長年、定期的に悩まされて続けた親知らずを抜きたい…… いや、抜かねばならぬのだ。旅に出ることも本を読むことも、それはwant toであるが、親知らずに関してはmustである。 思えば小学6年生頃から半年に一回
先日、吉本興業の大阪土産、「面白い恋人」をいただいた。北海道の定番土産である「白い恋人」を模倣するかのように、大阪らしいユーモアで名前をもじったその土産は、今や大阪の定番となっている。 しかし、名前のセンスに反して、味のクオリティは決して高いとは言えず、「ああ、今俺、お菓子食ってるな」とメタ認知せずにはいられない感じ。 「白い恋人」の甘さは、口の中でゆっくりと溶けていくようだが、「面白い恋人」の甘さは「砂糖!」という感じで、潔い。まわりくどさがなく、まさに藤川球児の火の玉
スリランカを歩けば、この国の体質がなんとなく分かるようになった。 『地球の歩き方』を読んでも、YouTubeで動画を観ても、その国の情報のみが得られるだけで、「雰囲気」が掴める訳ではない。 きっとVRの技術が進んでいったら旅行は仮想空間でもできると言われる未来も来るかもしれないが、果たしてその土地の日差しの強さや香りを再現することができるのだろうか。 風に吹かれて鼻に通ってくる香辛料の香りと照りつける日差しに慣れた頃、僕はすっかり異国にいることを忘れるようになった。それ
スリランカの旅を終えてもう一年も経ったというのに未だに旅行記を書き終えていないのは、そのエピソードの多さが所以だろう。もっともその要因は僕が「サボったから」なのだけど、ちゃんと完結させるのでお許しください。 とはいえ、そろそろ終わらせたいという気持ちが強いので、ここからは出来事を抽出して取り上げようと思う。 スリランカのビーチリゾート、ヒッカドゥワにいたときのことだ。 ビーチリゾートというのは一般的に外国人(ロシア人)が多いが、ヒッカドゥワもその例外ではなく、小さな街に
露天風呂に入った。当然、男風呂である。 風呂に入っているときは全く何も考えていないときが多い。ただひたすらに何も意識をせずに、一点を見つめるのだ。 いや、一点というのはまた語弊があるかもしれない。風呂に入るときは眼鏡を外すからピントが合いやしない。ボヤボヤとした視界全体を見ているような感じである。 ただ、今日という今日はいつもの風呂ではないのだ。というのも、ぬるめの湯船に浸かってから10分ほどで、僕の息子、即ち男性器がムクムクしているのだ。 自分でも思った。そんなバナ
東南アジアの旅を終えて帰ってきた。ラオスの交通量なんて微々たるものなのだが、タイのバンコクは幾分か違う。交通量が多い。そして歩行者用の信号機は非常に少ない。ベトナムのハノイやホーチミンもタイに負けず交通量が多かった。だが、まだ信号機は割に設置してあるから、歩く分には困ることが少ない。 しかし僕が見るには、信号機が設置してあるかないかなんて彼ら現地人からしたら何も関係ないようである。 信号がない道路、それもビュンビュンとバイクが行き交う道を平気で渡るし、信号があったところで
はいはい、タイトルから察すればどうせヤジか何かで彼女を失いそうになったのね。と思った諸君はこの記事を最後まで読むがいい。そもそもお前に彼女がいたのかと思った諸君も必見である。 * この前、横浜スタジアムでいつもの如く楽しく野球観戦をした。もちろん僕が好きなのは野球でも野球観戦でもなく、カープなので、カープの試合ということになる。 得点で喜びを爆発させ、失点で酷く落ち込む、一喜一憂の激しき試合であったが、この試合、とにかく長かった。 というのも、野球の試合というのはせい
「暗記はその暗記したい「モノ」と出逢う回数を増やせ」 本なのか、先生なのか、頭のいい友達なのか、誰かは忘れたが、僕が高校生だったときに誰かから言われた言葉である。 僕は真面目な高校生だったのでその教えを忠実に守った。授業で学習したことについて、何度も問題を繰り返してその「モノ」と出逢う数を増やした。 だが、それだけでは足りない。もっともっと出逢わなければ暗記なんぞできない。そう思っていた矢先、当時の担任の先生の左手に乱雑な字でメモが書いてあったのが見えた。 「先生、そ
僕が小学生高学年だったときの話だ。何ら変わりのない朝が来て、いつも通り顔を洗い、服に袖を通す。父と母に「おはよう」とあいさつをしてから学校の支度を済ます。いつもと同じ朝だった。ただその日イレギュラーだったのは、弟が体調不良でリビングへ起き上がってきたことだった。 そのとき弟は小学一年生か幼稚園生くらいだったと思う。僕より早起きの弟がいつも先に朝食をとるのだが、めずらしいことに彼の大好きな「ふんわり食パン」を一口食べて食事を終了していた。どうやら朝から気持ちが悪かったようで、
今日は🇹🇭旅行中なので休みます!!(言い訳) プロフィールからインスタ覗いてみてくださーい!
某、24歳になりけり。 昨日まで小学生だった気がしないでもないが、もう24年も生きているのかと思うと一種の恐怖感を覚える。 24歳を迎えた朝、母へいつものように「おはよう」と言うと「誕生日おめっとさーん」という何とも軽々しい祝辞を述べられた。 「あ、どうもどうも。これでまた着々と死に近づいているわ」 と僕が言うと、母は嫌な顔して「じゃあ私はどうなっちゃうのよ!私の前で言わないでよ!」と言う始末。 まあタイムリミットは大きな差があるが、死へ近づいているのは事実であるし、そ
ふとした瞬間に「視線がぶつかる」のがZARDなら、僕は「モノを落とす」ことが多い。 スマホはその最たる例で、がんがん落としてしまう。もちろんそれは故意ではない。が、落ちることが必然であったかのように床へ、あるいはアスファルトへ落下していく。 スマホケースをiFaceとかいう割と強固なやつにしてるから、スマホはとても元気である。とはいっても、よく落とされるスマホに同情せずにはいられない。 よく落とすものはスマホ以外にもある。例えばイヤホン。おい、また電子機器かよと思うかも
0. 値切ることを恥じるな 値切る。それは卑劣な行為なのだろうか。確かに、僕たちが何か買い物をするとき、すべての物を値切ったら、それはケチと認定されることは必至。 しかし日本で生活していて値切ることなんてあるかといえば、それはほとんどないだろう。 このキャベツ、100円にしてとスーパーにクレームを入れることはできないし、100均の200円商品を100円にしてとも言うことだってできない。いや、言うことはできる。が、そんなの100%無理なのである。時間の無駄。労力の無駄。な
スーパーマーケットでレジに並び、僕の番が来たので店員さんにレジ打ちをしてもらった。夜8時くらいでピークを過ぎたスーパーだったから、僕の後ろに並ぶお客さんは誰もいない。 お会計は千円と少しくらいで、店員さんは1番で清算してくださいと自動精算機を案内する。僕はレジ打ちをここまでしてくれたその中年女性へ「ありがとうございます」と言って会計済みの商品が入ったカゴを持つと、彼女は目を丸くして唖然とした表情をしていた。 そして続けてこう口を開く。 「そんなこと、言われたことない……」
ニワトリが鳴くよりも早く起床した。時刻は午前5時半。まだ街に朝日は昇っておらず、辺りは真っ暗だったが地元民や観光客たちが着々と繰り出している。 その理由は托鉢である。ここ、ラオスのルアンパバーンでは朝一番に橙色の袈裟を召した僧侶たちが列をなし、鉢を抱えてゆっくりと歩く。その鉢へカオニャオというもち米やらお菓子やらを入れていくのだ。 それらは僧侶の食糧になっているようで、加えて貧しい家庭へも分配されているらしい。ラオスに来てから4日が経つが、この街に物乞いがいないのはこの托
先日、7回目の髭脱毛をしてきた。 7回目ともなるともう慣れてきた一方、また痛烈な痛みに耐えなくてはならないと思うと少しだけ鬱になる。 じゃあ麻酔すればいいじゃないかと言われそうだが、たかだか3分くらいの脱毛時間のために3千円のオプション麻酔をつけるのはなんだか馬鹿馬鹿しい。 それにいくら痛いとはいえ看護師はいつも若くて綺麗な方が多いので、余計に見栄を張って、麻酔なんかする訳ないでしょといった表情で挑むのである。 その日も、やはり綺麗な方で施術前にこれまで何度も聞かされた