好きな季節についての1分間スピーチ
1分間、教卓の前に立ってスピーチをする。所謂、「1分間スピーチ」というものが小学5年生の頃に存在した。
授業がすべて終了し、いよいよ放課後になろうとする直前の「帰りの会」にて毎回児童一人が教卓の前でスピーチを行う。30人とかそこらのクラスであったため、毎月一度は回って来る。
月一で訪れるその日は、まるでジョーカーが自分の手元に回ってきたような、陰鬱な気分になる。学校に行きたくないな、と思ったこともあった。しかし、この悪しき文化だと思っていたものに慣れると、人前で話すことは意外にも楽しいと思えるようになった。
スピーチの出来不出来はもちろん児童一人一人違うのだが、拍手にはじまり拍手に終わる。スピーチ後は先生がよかった点と改善点をそれぞれ述べる。仮にどんなに下手であろうと、褒める。どんなに上手くても改善点を挙げる。スピーチが終わった後のクラスメイトの拍手と先生の褒め言葉に達成感を覚えたし、先生の改善点を聞いて俄然やる気になったものである。
当然だげど、スピーチのお題は毎月変わる。はじめは自己紹介。その後は将来の夢、好きな食べ物、好きなキャラクターなどなど、数多くのスピーチをしてきた。中でも印象に残っているお題は「好きな季節」である。
日本には「美しい四季がある」とよく言われる。そのなかでも、特段好きなものについて理由を含め、1分間でスピーチする。
僕はこのスピーチのお題において、順番的には割に後半だったため、クラスメイトのスピーチを参考にすることができた。話し方として見えてきたのは、どの季節が好きか(結論)→なぜその季節が好きか(理由)といった極めて単純な構成だった。
皆各々好きな季節があることは分かったが、理由に関して被ることが多い気がした。春が好きな人は「適度に暖かいから」、夏が好きな人は(あまりいなかったけれど)「夏休みが長いから」、秋が好きな人は「紅葉がきれいだがら」、冬が好きな人は「クリスマスがあるから」。あるいは「自分の誕生日がその季節である」みたいな、没個性的な理由ばかりで正直つまらない。
僕は天邪鬼だったのか、それとも性格が悪いからか、好きな季節を考えたとき、その季節特有のデメリットばかりが浮かんでしまった。
僕は名前が「夏輝」というだけあって、夏生まれである。しかし、いかんせん日本の——とりわけ関東地方の夏は暑すぎで具合が悪くなるし、夏の対極である冬は寒すぎる(この頃はヒートテック極暖とかなかったし、たぶん)。
気温的にいえば秋が過ごしやすいのかといえば、寒暖差が激しくなって風邪を引きがちになる。残るは春だが、春は強敵、花粉がある。スギとヒノキに毎日殺意を覚えながら生きなくてはならない日々が春である。なんなら秋もブタクサとかいうふざけた名前の花粉がある。
つまり、日本における四季の枕詞に「美しい」とかいうけれど、デメリットに着目していたらそんな流暢なことは言えない。
この世界は生き地獄だ!
弱冠11歳でこの真理に辿り着いてしまった。
だが、お題は「好きな季節」。消去法でも何でも、好きな季節を選ばなければならない。僕は苦悩した。頭を抱え、悩んだ。ロダンの「考える人」ならぬ「考える小学生」。いったいどの季節がマシなのか。
迎えた、発表日。その日の登校時間に結論を出そうと思ったが、決まらず、授業の内容も右から左に流した。窓から除く校庭をぼーっと眺めながら、そっちのけで好きな季節について考えを巡らせていた。
いよいよ帰りの会。
日直の児童が僕を指名し、拍手が沸き起こる。
「サイトウナツキです。発表を始めます」
何度ここへ立っても、教卓から見える景色は見慣れない。心臓が高鳴って少し気持ちが悪い。
授業中悩みに悩んだが、結局結論はでなかった。もう、どうにでもなれ。
「好きな季節はありません」
仲が良かった友人も、早く帰りたがってソワソワしていた男の子も、当時好きだった女の子も、皆、目を丸くして僕を覗くようにして見ている。
「僕は夏生まれですが、日本の夏は暑すぎる!」
楽天モバイルの米倉涼子並みの声量と熱量で想いをぶつける。
「一方、冬は寒すぎで布団から出られません」
当時同じ女の子を好きという理由から大嫌いだったAくんが激しく頷く。こんなところまで一緒かよ、共感求めてねえから!と思った次第だ。
「では秋はどうでしょうか。秋の寒暖差、激しすぎて風邪引きます」
ベンザ(ブロック)がなければ日本国民は今頃全滅である。
「かといって春は、花粉がキツすぎます。どうして僕たちは毎年毎年花粉に悩まされなければならないのでしょうか。花粉症じゃない人、恨みます!」
このときばかりは、いつも目が充血している大嫌いなAくんと友達になれると思った。
「なので、僕には好きな季節がありません。以上です!」
盛大な拍手に包まれた。舞台から見た劇団四季のカーテンコールだ。別に好きな季節を決める必要なんてない。人は「好き」なものに注目しがちだが、別に「好き」ではなく「嫌い」に焦点を当ててもいい。
スピーチの後は質問タイム。
「はい!」
目が相変わらず血走っているAが勢いよく手を挙げた。よりによってお前かよ、と思って僕は彼を指名した。
「質問です。好きな季節はないということでしたが、強いて言えばどの季節が好きでしょうか」
なぞにドヤ顔で言われ、無視しようと思ったがクラスメイトと先生が観ている公の場である。ていうか、それが分からないから「好きな季節はない」って言ったんだろうが。
「強いていえば、、、、、、うーん秋ですかね。春と比べて花粉はマシだし、気温も上下は酷いけど丁度いい。秋ですね、はい」
あ、秋なのか、と人から言われてはじめて気が付いた。その「人」というのがAくんであるのはなんとも悔しかったが。
「ありがとうございます」
Aはまたドヤ顔をしている。うっざ。
「はい、ありがとうございました」
いよいよ先生からのコメントである。
「斉藤、お見事。あなたならではの素晴らしい視点でスピーチができていたし、それにどれも共感を呼ぶものが多かった。ユニークで面白い発表だったと思います。改善点は、、Aの質問の回答みたいな感じで『強いて言えば』の季節が言えたらもっとよかったですね。それでも、いいスピーチでした。ありがとう!もう一度拍手を!」
クラスメイトがまた拍手をしてくれた。
この先生、やっぱ好き。拍手に加えて先生のコメントで達成感は最高潮に達した。Aがいらんこと言わんかったら改善点もなかった説あるのに……
ちなみに、この数日後、Aの一分間スピーチでは僕と同様、季節特有のデメリットを挙げたうえで消去法的に秋と答えていた。それ、ほぼオレの。コイツ、ゆめゆめ許すまじ!
この世界に著作権や特許というものがなぜ必要なのかを学んだのと同時に、Aが僕の論をパクったのか、あるいは彼と感性が全く一緒なのか、僕は錯乱した。
現在Aくんはどこで何をしているのか、僕は全く知らない。生きているかすら分からないし、別に知りたくもない。
たぶんだけど、こうしてnoteでくだらないエッセイでも書いてまたドヤ顔しているのだと思う。でも、花粉に敵う害悪な存在は人間界にいないと思っているので、Aくんよ、安心してね。
あ、あと強いていえばですけど僕はスギ花粉よりヒノキの方が苦手なので、ヒノキ花粉が一番の害悪だと思っています。
以上です!(拍手喝采)
「押すなよ!理論」に則って、ここでは「サポートするな!」と記述します。履き違えないでくださいね!!!!