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子育てで親ができることは、あるのか?
子育ての要諦は「私が育てたのではない」と考えること と敬愛する篠原信さんがコメントしている https://note.com/shinshinohara/n/n319640b2308d?sub_rt=share_pw 何が…
不登校は、家族を壊すのか?
こんばんは。今日もお疲れ様です。
仕事、家事、健康、家族、じぶん、
令和時代のお父さん、おかあさん、教育者の皆さんお疲れ様です。
不登校が辛い理由って?
不登校という言葉が昭和母の時代にはありませんでした
なぜなら「登校拒否」という言葉で括られていたから。
今思うと、登校を拒否しても、おかあさんはお家にいた時代。
今は。登校をを選ばない「不登校」というシステムに身をおくと、
家族を巻き込む大惨
そして、娘が不登校になったハナシ(下)
娘がインターナショナルスクールを辞めたいと言った日から、早10ヶ月。
時はすぎ、1学年進級した。
不登校の当時、
友達もいない、先生も嫌い、音楽の先生に至っては
同じ場所にも行きたくないと息巻いていた娘。
あれから・・・
娘は、劇的に変化を遂げることになる
学校は行きたい場所になり、
「学校は楽しい」と言葉にするようになった
娘はあれから何か変化したのか?
学校は変化したのか?
環境面
そして、娘が「不登校」になったハナシ(上)
娘がインターナショナルスクールから区立小学校に転校したのは
2023年9月。9月から12月の二学期はお休みを長くするということはなく、楽しげに通っていたが、2024年の年明けから、お休みしたいという日が増え
気づくと1月中旬には様々な理由をつけて「不登校」に突入したのだった
その日娘に聞いてみた・何が嫌なのか・・
「ママ、自分で決めたから、色々意見しないでほしい」
娘は俯きながらでも、しっか
小5の夏、インターナショナルスクールから公立小学校に転校た娘のハナシ、娘は不登校気味になった(1)
娘は、コツコツと学校に通うようになった
2学期をしっかりこなし、成績表も持ってきて嬉しそうだった
しかし、1月に入ってから学校を休むようになった
理由は
6年生を送る会で吹くリコーダーを覚えていない段階で
クラス全員の前で弾かされて、恥をかいた気持ちになったことが
きっかけだとのこと
音楽の先生は、日本のトップダウンの方式を取りいれた授業をしている
らしい(というか、それが普通であるのだが)
鬱だった40代ワーキングマザーの心を動したブレネーブラウンのTEDトーク(続編1)
ミッドライフクライシス、、まさか、順風満帆な人生を送っていたと
思っていた自分がなるとは今でも、あの時の私でも信じられないのですが、、、あの時、ブレネーブラウンに会えたことは必然で必要だったことだと心から思えるのです
有名な文章は彼女の本から引用しています
挑戦する勇気〜
自分が鬱だって認めること
自分がちょっとしたことで攻撃されたと感じること
誰かから心配されると、心配されたくないという恥み
小5の夏、インターナショナルスクールから公立小学校に転校したいと娘から切り出されたハナシ(下)
ワタシ、あんまり公立好きじゃないかも、、と言い出した
2学期から公立小学校に転校した娘、数ヶ月経過しての今について
記しておきたい
娘からすると、
私は公立には合わない(キリッ)
でも、来年外国に住みたいから、今は「日本の一般的な学び」を
得る体験として学校にはいく
母がそれは、インターナショナルスクールに戻りたいって意味かな?
と聞くと、きっぱり「それは違う」「インターに戻りたいわけではな
小5の夏、インターナショナルスクールから公立小学校に転校したいと娘から切り出されたハナシ(中)
リングを鳴らした娘は、ドヤ顔をしていた
背筋を伸ばしていたわけではないけど、なんだか、穏やかな佇まいにも見えて、腹を決めた後の余裕すら見て取れた。
パパとママは今まで通ったインターに通ってほしい気持ちはわかる、
でも私の決意は決まったから、とのことだった
何度かの意思確認を経て、娘は、当初通り自分の思いを果たすことになる
パパとママは味方だよ、応援しているからね
心から、娘の決断を応援したい
小5の夏、インターナショナルスクールから公立小学校に転校したいと娘から切り出されたハナシ(前半)
子供が人生を自分で決めると決めた日、それは突然訪れた
長女には、学歴や偏差値を出口にした教育ではなく、自分の好きや得意を知り、伸ばすために、探究型の学びをベースにした学校を探したいと願い、夫と2人で様々な学校を巡り日本のフリースクールにあたるインターナショナルスクールに辿り着いた
所謂日本的物差しでの学力的には、かなり低い学校にあたると思う
教科書もテストもない、異年齢で20名のクラスでターム
5歳児にチーミングの極意を学ぶ
竹登り、運動会のリハーサルで息子が登れず、悔しくて泣いた
ママ友から、「登れなくて悔しくて泣いた園長から、まだ2週間あるから十分時間があるよ。大丈夫だよ。きっと大丈夫」と言われていたと聞く。
青天の霹靂だった。息子は早生まれながら、運動能力は低くなく、1歳から通っている保育園の毎日の遊びのお陰もあり、体力系は得意分野で、まさか保育園最後の年長運動会で息子が竹登りに失敗して泣くとは
想定とは大きく