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そして、娘が「不登校」になったハナシ(上)

娘がインターナショナルスクールから区立小学校に転校したのは
2023年9月。9月から12月の二学期はお休みを長くするということはなく、楽しげに通っていたが、2024年の年明けから、お休みしたいという日が増え
気づくと1月中旬には様々な理由をつけて「不登校」に突入したのだった

その日娘に聞いてみた・何が嫌なのか・・

「ママ、自分で決めたから、色々意見しないでほしい」

娘は俯きながらでも、しっかりとした言葉で私に言い放った後、
ポツリポツリと話し始めた

・音楽の授業で威風堂々をリコーダーで弾くのだが、自分はインターでリコーダーを習っておらず吹けない。みんな吹けるのに、自分だけ吹けない。みんなの前で弾く機会があったが、散々な自分の姿が情けなかった

・先生は最初猫を被っていて、優しかった。でもだんだんと本性を表わし、クラスの子供達を怖い言葉で脅したり、目も見ないで注意されることがあり悲しい。

・友達は一軍の女子たちのグループに入れず、自分は友達が少ない。友達の悪口を言うお友達を避けたいが、そういう訳にもいかず、モヤモヤする。

と、ゆっくりとでも自分の言葉で学校を遠ざけ始めた
きっかけや理由を自分の言葉で語り始めた

スジが通っている主張はわかる、でも、毎日家にいて、youtubeを見たり自主学習だけでは得られないソーシャルライフを娘が失うことが辛い、
そうそう、学校を休む、不登校するということ自体の概念がない昭和の母としては、娘にソリューションを提案してあげたくなり、胸がズキズキするのだった

私は、娘に尋ねた。
いつまで、学校行かないつもり?

「弟が4月に学校に入ったら行くから、ママは安心していて」

私は、何に安心したら良いのだろう。。
その時、途方にくれるしかなかったのである
(続く)

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