不登校は、家族を壊すのか?
こんばんは。今日もお疲れ様です。
仕事、家事、健康、家族、じぶん、
令和時代のお父さん、おかあさん、教育者の皆さんお疲れ様です。
不登校が辛い理由って?
不登校という言葉が昭和母の時代にはありませんでした
なぜなら「登校拒否」という言葉で括られていたから。
今思うと、登校を拒否しても、おかあさんはお家にいた時代。
今は。登校をを選ばない「不登校」というシステムに身をおくと、
家族を巻き込む大惨事となるのでは?と思う。
社会システム的に、夫、妻で不登校の子供をかりに
サポートするとすると、、毎日、行くか行かないか?ギリギリまで迷う
子供の心的サポートに徹し、その後、
WHAT ?何をして一日過ごすのか?
HOW?どのように過ごすのか
WHY?なぜ今日も行かないのか?
WHO?誰と過ごすのか?
まるで、仕事のようなエンドレスな問いを家族、しかも夫、つまを巻き込んで毎朝繰り広げることになるから。
子供が辛いのか?親が辛いのか?
極論、お互いに辛いと思う、というのが私の結論である。
上記のようなエンドレスな問い、答えがあるようで、ない。
正解があるようで、正解が手のひらから砂のように崩れていく
土台がない状況で、お互いガチに手を取り合って、毎日の毎秒、毎分、
毎時間を過ごすことになる。友達や学校という環境がない中で、
バトルである。親は子供を悲しませないように。子供は辛くないふりをして親を悲しませず、無理させないようにする。
心理的攻防を繰り広げることになる。
社会システムの中で、家族を一番支える場所、それが学校だと気づくのに、
そうは時間が掛からなかった。
学校に行くことが正解ではない、
では、家庭だけで完結しない子育てを
どう調整して、やりくりするのが正解か?
学校に行けるなら、最初から苦労していない。
子供だって、行けるもんなら、行きたい、でも行けない理由が
あるのだ。
時代は、「寄り添う」を大切にしている
子供は自分の気持ちに寄り添う
親は子供の気持ちに寄り添う
でも。
子供だけではない、寄り添われたい親を置き去りにしているのが、今の
学校の不登校なのだと思う。
おやは、必死に子供のために、予定を調整し、
オフサイトワークとリモートワークを組み合わせ、必死に子供を一人にしない方法を考える。
それは、愛であり、無知である。
正解は何か?
探究は続くのである。
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