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そして、娘が不登校になったハナシ(中)

娘が通っている区立小学校は極々一般的な区立小学校で、
先生も当たり外れはあるだろうが、極端に悪い先生には思えず、
娘の言い分を聞きながら、致し方ないなぁと思う母なのでした

母の昭和時代には、不登校という言葉自体がなく、
実際は「登校拒否」という言葉でくくられて、
ただ単に学校にいかずおうちで過ごすというものだったり
学校の単元で嫌なものがある場合は「お腹が痛いので」と言って
保健室で休憩するくらいが関の山でした

そうそう、今の子供たちは、自分の主体を持って学校に行くいかないを
決断する力があるのだな、、とある意味
眩しくも受け取るのでした

娘の学校の休み方は主体的で、

まず一日のスケジュールは自分で決めるところから
がスタート

・国語の問題集数ページ
・算数の問題集
・学校の色々な課題、宿題
・絵を描いたり
・作文を描いたり
・読書をしたり

そして大好きなYoutrubeも制限された中で楽しみながら
過ごしているようでした

ただ、毎日学校に行けないまま、
時間はただいたずらに過ぎていき、父も母も仕事で不在な中
娘は毎時間何を考えながら過ごしているのかな?
と母の気持ちが疼くのでした

先の見えないトンネルを
どうぬけていくのか?1ヶ月くらいは暗中模索のままでした

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