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体験が人生を変える

真実だと思う、敬愛する篠原さんのNoteに激しく共感

私は幼少期から運動が苦手で大人になるまで、とても運動を好きになれなかった。ところが、子育てを始めてふと、気づいたことがある。
それは、体験不足だったということ

学習がうまく進まない場合は、まず体験の欠乏を疑ってみたほうがよいように思う。少なからずの子どもが、体験を補うことで「理解」が進むようになる。人工知能に大量のデータを学ばせると、「深層学習」により、理解・発見ができるのと同じように。

篠原信さんのNoteより

母は私に、「ミニバス(バスケットボール)や役に立たないから」といって、習わせてくれなかった

自分の子供が体操系の習い事をしたいと言った時に、ふと頭をもたげた一言、、、???なぜ、40年以上前の言葉が頭に浮かぶのか。
頭の中にこびりついていた、言葉を思い出す限り、そうそう、
運動、マンガ=意味のないこと、役に立たないこと
ピアノ、勉強=意味のあること、役に立つこと
というバイアスが私の頭にこびりついていた

母は私にピアノを習わせたいがために、小学校のミニバスは
意味がないことと、教えてこませたのだろう

使えば使うほど、楽しくなる体験という価値は大人になっても取り戻せるか?

今の私は、運動があまり基本的には好きではない
ただ、テニスやヨガなど、自分の「楽しい」に引っ掛かる
運動体験もあるので、まだここから「楽しい」=スポーツという図式に
頭が切り替わる可能性を感じている

運動という神経系も、使えば使うほど、高度に理解発見が進み、
運動を楽しむことができることにつながるのだろう

子供も大人も体験は続く、人生が続く限り、Updateし続ける
体験で学習し新しい意味ある楽しい人生を生きられると思う。
そのためには、脳や心を動かす、驚きの体験が必要だ。
それは意図的に意味を持って、企てていきたい。


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