記事一覧
はがき通信———《ふりかけ通信》再録
38年前に起こったこと。 今から38年ほど前に起こったことを、《ふりかけ通信》というタイトルで、当時ちょっと流行っていた「はがき通信」に載せて、知人宛に郵送しました。新聞のようなレイアウトの通信をはがきサイズに印刷したものです。
《ふりかけ通信》は、「はがき通信」としては第3号までで、第4号からは『蜚語』という小冊子の巻末に入れました。いろいろと書いているうちに、はがきではどうにも収まらなくなっ
「ゆきゆきて神軍」———ニューギニア戦線で起こったこと———戦争責任。
沖縄市のドーナツカフェで映画もするという小さな映画館(シアタードーナツ)で、「ゆきゆきて神軍」が上映された。そこへは行かなかったけれども、U-NEXTで35年ぶりに見た。
太平洋戦争でニューギニアへ派遣された独立工兵第36連隊主力の約600名うち米軍の捕虜となって生還した者が確認できる範囲で8名いた。そのうちのひとり、奥崎謙三という将兵の戦後の姿を追ったドキュメンタリー映画だ。
私は映画
『蜚語』第19号 特集 「米余り」っていったいなんだ!(1997.12)
小冊子という形での発行は、この第19号が最終号です。オーロラ自由アトリエでは、1999年春に『批判精神』というタイトルの季刊雑誌を発刊しましたが、その中に『蜚語』も組み入れました。
《ふりかけ通信》→『蜚語』(《ふりかけ通信》を組み込む)→『批判精神』(『蜚語』を組み込む)という形態で進化させて来たわけです。
『批判精神』は100ページ強の雑誌なので、そのすべてをここにアップすることは難しい
1984年版 『吹雪の星の子どもたち』を読んだ時のこと。
山口泉著『吹雪の星の子どもたち』を私が手にしたのは、版元の小さな出版社でのことでした。私は、中・高生のころは、それなりに小説を読んだのですが、その後、学生自治会や全共闘運動に関わるようになってからは、ノンフィクション、あるいは、何々論といったものしか読まなくなりました。『世界』のような総合雑誌には必ず連載小説があるのですが、それだけはいつも飛ばしていました。
紆余曲折ののち、34歳のとき小さな
『蜚語』第18号 特集 もっと批判を!(1997.1)
【表紙は語る】
もの言わぬは腹ふくるるの業 コッタジという韓国の「労働歌謡」を歌うグループが来日した。この「労働歌謡」にあたるものが、日本にはない。
コッタジは、不屈に闘う労働者の姿を「岩」や「タンポポ」にたとえたり、我々は、つねに虐げられた者と共にいるなどと歌う。代表の李銀珍さんは、労働歌謡について「労働者が感じていること、真の生きる姿を歌で表現した」と解説している。これらの歌は、労働組合のス
『蜚語』第16.17合併号 特集 原爆——極東支配から世界へ、アメリカのもくろみ。(1996.2.20)
【表紙は語る】
もの言わぬは腹ふくるるの業 冬になると駅のそこかしこのポスター、電車の吊り広告には、スキー場の情報が満載される。駅構内に置かれた旅行パンフレットも半分ぐらいは、スキーパック。やがて、スキーを抱えた人々が行きかう。私も昔、2~3回は行ったことがあるスキー。
はじめて行ったのは高校時代。その方面では有名な老舗の白馬「御岳山荘」の娘が東京の私立高校へ来ていた。親戚の家に滞在していた同級
『蜚語』第15号 特集 「戦後民主主義」は誰の味方か?(1995.4.15)
【表紙は語る】
もの言わぬは腹ふくるるの業 『週刊金曜日』という雑誌が出ている。これについて「『蜚語』はどのような見解を持つのか」と、読者からの質問があった。
この週刊誌に関しては、創刊のずいぶん前に定期購読のお願いを含めた発行の主旨のような文書が郵送されてきていた。しかし、定期購読者が一定以上の人数に達しなければ発行は取り止めると、半ば脅しのようなことが書かれていたので、この姿勢はいただけない
『蜚語』第14号 特集 続・学校にまにあわなぁーい(1994.3.30)
【表紙は語る】
もの言わぬは腹ふくるるの業 3月4日 久々の外食で白飯を1口。まずい! 店の人に尋ねると、国産米7対カリフォルニア米3という。TVで外米を食べて見せての、あの「意外とおいしい」キャンペーンは何だ!
3月5日 消費者共同購人会の伊藤さんに電話。いつもの胚芽米があるか聞く。10kg入りが1袋残っていると言うので、取りに行くことに。今年に入って2回値上がりした、今度はいくらで入ってく