有楽町スバル座
微かに残る記憶……。ふたつのシーン。
「宇宙戦争」という映画で、スクリーンに奇怪な、なんだかきみの悪い、恐ろしいものが映されて……と思ったら、スクリーンから煙が出てきた。だが煙は映画ではなく、本物だった。
もひとつのシーンは、大勢のおとなに混じって、遠くの方で炎と煙を上げる建物を、父に抱かれて見ていた。これも、映画ではなくて現実。
有楽町スバル座は、2019年10月20日に閉館した。もともとGHQが日本の民主化を促進する目的で、アメリカ映画を上映する映画館として、戦後ほどなく、1946年に建設されたとのこと。「日本の民主化」とともに生まれ育った私にとって、アメリカ映画は夢のような世界だった。
父は「日本映画はまだらっこしくて見ちゃいられない」と、アメリカ映画を好んでいた。映画フィルムの現像技術者の父は、戦後、はじめてアメリカのカラー映画を見たとき、「えらい国と戦争をしたもんだ、勝てるわけがなかったと実感した」と私に話した。その父に連れられて観に行ったのが、冒頭の「宇宙戦争」だった。
1953年9月6日の有楽町スバル座の火事は、全焼するような規模にもかかわらず、観客はすべて従業員の誘導によって避難できた。戦後まもなかったこともあり、空襲によって火災から避難するということに、従業員も観客も慣れていたと言われているなんとも皮肉な事態だった。有楽町スバル座の火事に遭遇した体験は、その後もしばらくの間、我が家の話題となった。
その時、私は4歳になる直前だった。タイトルの写真は、スバル座の火災から8か月後の父と私。
「日本の民主化」政策のまっただ中に置かれた子どもにとって、アメリカは自由で、明るく、豊かで、楽しい社会に見えた。数多くの子どもたちを主人公にした映画やテレビドラマが、日本語の吹き替えを付けて公開されていた。なかでも、ティーンエンジャーが親の一方的な圧力がない家庭で、楽しく過ごしている物語を、羨ましいと思いながら見ていた。
1962年に日本で公開された『罠にかかったパパとママ』(The Parent Trap)は、60年以上経つ今も、印象に残っているもの。「両親の離婚によって互いの存在を知らずに別々に育てられた双子の少女が、両親を再婚させようと奮闘する姿を描いたホームコメディである」と、Wikipedia には解説されている。今回あらためて、この映画は『2人のロッテ』(エーリッヒ・ケストナー『ふたりのロッテ』が原作であるということを知った。
この映画を観のち、わずかなお小遣いを叩いて映画の中で主人公の少女2人が歌う「Let's Get together」のレコードを買った。2人といっても、実は双子の姉妹をヘイリイ・ミルズが1人2役をやっているのだけれども。このイギリスの女優は現在77歳で健在であることが分かった。
家庭でも、社会でも、軍隊でさえ、西洋の映画やドラマに出てくる人間関係は、上のものが一方的に何かを押し付けるのではなく、常に話し合って了解を得るということが強調されているように見えた。我が家は当時としては一般の家に比べれば、それほど高圧的な親ではなかったけれども、父親はからは、「俺の家だ。俺の言うことが聞けないのなら出て行け」と言われたこともある。
それでも、女だからどうこうしろというようなことは、いっさい言われることもなく、従って、当時の大多数がそうであったような結婚退職をして主婦生活を送ることもなく、やりたいことをやってきた。
いま、ほとんど映画館に出向くこともなく、ネット配信を利用して、1968年から70年代にかけて見た映画をあらためて観ると、こちらが成長した分、たいていはがっかりすることが多い。それが怖くて、かつてよく観たゴダールやアントニオーニの映画は、ペンディング状態。
『罠にかかったパパとママ』は、Disney+ で観ることが出来るようだ。昔の映画なのでこんな但し書きがある。「タバコおよび喫煙のシーンが含まれています」。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?