Makizome Kanna

世間ではZ世代と呼ばれる、大阪在住の大学生。意識はひくい。 趣味は読書と映画鑑賞。好き…

Makizome Kanna

世間ではZ世代と呼ばれる、大阪在住の大学生。意識はひくい。 趣味は読書と映画鑑賞。好きな食べ物は、ミルクドーナツ。 noteの方では、みた映画について語ります。 Twitterもしています⇒@kannamakizome

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記事一覧

子供心の鈍感さと繊細さ

子どもにとって「親」というものは、「典型的な人間像」として刻み込まれる存在である。親がどのような仕事をしているのか、どんな関係性にあるのか、といった様々な姿が、…

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『大菩薩峠』から『釈迦』へ

三隅研次監督が、『大菩薩峠』の次に取り掛かったのが、本郷功次郎主演の『釈迦』だった。 『大菩薩峠』が特段仏教的色彩が強い作品であるとはいえないにしても、人間の生…

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美談「忠臣蔵」の裏側

「忠臣蔵」という名称で知られる「赤穂事件」(元禄15年・1702年)は、播磨赤穂藩浅野家の旧臣47人が、主君の仇打ちを掲げて、江戸の吉良上野介屋敷へ討ち入りし、見事その…

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中里介山『大菩薩峠』を映画で味わう

中里介山が約30年間連載を続け、惜しくも未完で終わってしまった一大巨編がある。 『大菩薩峠』 ちくま文庫版で全20巻にも及ぶ小説だが、これが幾度か映画化されているこ…

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「人類によい結果をもたらす暴力ならばね、大いに使う」

原一男監督『ゆきゆきて、神軍』(1987年)をみる。本作は、太平洋戦争のニューギニア戦線から帰還した男・奥崎謙三の、慰霊と戦争責任追及を追ったドキュメンタリーである…

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とにかく笑いたいときにみる映画

何も考えずに、笑いたい。そう思うときがある。 そんなとき、小さい頃から頻繁に見てきた映画がある。 今日はそんな映画の話をしてみたい。 * ピーター・ファレリー&ボ…

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償いの愛

「〜は許さない」ということが全面に押し出される作品は、つねに「説教臭さ」という敬遠される要素を持つ。一方、エンターテイメントを重視しすぎれば、「ただ面白いだけ」…

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暴力を直視する

スタンリー・キューブリック監督『時計じかけのオレンジ』は、その他の監督作品がそうであったように、様々な評価・批判が巻き起こった作品だった。この映画が英国で上映さ…

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「グエムル」の側から世界をみる――『グエムルー漢江の怪物ー』(2)

前回に引き続き、ポン・ジュノ監督の『グエムルー漢江の怪物ー』をとりあげます。 * 劇中では、在韓米軍龍山基地から漢江に垂れ流された有毒物質(ホルムアルデヒド)に…

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「家族」と「血縁を超えた連帯」――『グエムルー漢江の怪物ー』(1)

映画を見る上で、「映画監督」に意識を向けるようになったのは、ここ最近の話である。これまでは、気になるのはいつも「出演俳優は誰か?」という点だけで、大袈裟にいえば…

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劇中の『聖家族』――『ふたり』(2)

今回も、前回に引き続き、大林宣彦の『ふたり』を取り上げたい。本稿では、主人公の姉妹である母親と、彼女が読んでいた本に注目したいと思う。 ※ 姉妹の母親は、劇中で…

亡くなっても傍にいるーー『ふたり』(1)

辛いことがあったときに、今は亡きお世話になった人と語らうことができたら、私たちの心情はどう変化するだろうか。 どんな人間であっても、生きているというだけで悩みに…

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少年バットは現れない

自分の人生を振り返ってみると、理不尽に人のせいにして、問題の解決を強行したことが何回かある。 自己の抱える問題が、画期的に解決されることは稀で、ゆっくりと時間を…

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愛のある食事ーー『さびしんぼう』(2)

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愛すること/愛されることーー『さびしんぼう』(1)

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日常がぐらつくーー黒沢清監督『CURE』をみるーー

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子供心の鈍感さと繊細さ

子供心の鈍感さと繊細さ

子どもにとって「親」というものは、「典型的な人間像」として刻み込まれる存在である。親がどのような仕事をしているのか、どんな関係性にあるのか、といった様々な姿が、子どもに「他の家族においても同じくそうである」という認識を生じさせる。
例えば、両親が常に仲良く、関係性が良好である子どもの場合、そうではない親(一人親など)をもつ子どもに冷淡になる場合がある。このことがきっかけとなり、学校現場でいじめが発

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『大菩薩峠』から『釈迦』へ

『大菩薩峠』から『釈迦』へ

三隅研次監督が、『大菩薩峠』の次に取り掛かったのが、本郷功次郎主演の『釈迦』だった。
『大菩薩峠』が特段仏教的色彩が強い作品であるとはいえないにしても、人間の生き死にの問題が底に流れているという意味では、連続性を感じずにはいられない二作品ではある。
(以前書いた、『大菩薩峠』に関する記事はこちら。)

『釈迦』は、タイトルの通り、釈迦国の王子として生まれたシッダの誕生と、悟りに至り人々に教えを説い

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美談「忠臣蔵」の裏側

美談「忠臣蔵」の裏側

「忠臣蔵」という名称で知られる「赤穂事件」(元禄15年・1702年)は、播磨赤穂藩浅野家の旧臣47人が、主君の仇打ちを掲げて、江戸の吉良上野介屋敷へ討ち入りし、見事その目的を果たした事件である。
「赤穂事件」はこれまでに、様々な視点から分析されたり、小説化・舞台化・映像化されてきた。

例えば、歴史学者の山本博文は、著書『「忠臣蔵」の決算書』(新潮新書)の中で、旧臣47人が討ち入りの際に必要とした

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中里介山『大菩薩峠』を映画で味わう

中里介山『大菩薩峠』を映画で味わう

中里介山が約30年間連載を続け、惜しくも未完で終わってしまった一大巨編がある。

『大菩薩峠』

ちくま文庫版で全20巻にも及ぶ小説だが、これが幾度か映画化されていることを、皆さんはご存知だろうか。

市川雷蔵主演の『大菩薩峠』(大映)は三部作となっている。一部と二部(竜神の巻)は三隅研次が、三部(完結編)では森一生が監督をつとめた。
簡単なあらすじを、以下より紹介していきたい。

甲州(現・山梨

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「人類によい結果をもたらす暴力ならばね、大いに使う」

「人類によい結果をもたらす暴力ならばね、大いに使う」

原一男監督『ゆきゆきて、神軍』(1987年)をみる。本作は、太平洋戦争のニューギニア戦線から帰還した男・奥崎謙三の、慰霊と戦争責任追及を追ったドキュメンタリーである(1)。

「(戦場の:注)地獄を語らなくってね、戦友の慰霊なんかなるはずがないすよ」(2)と語る奥崎は、戦場の真実を知るためなら暴力も噓も厭わない。
相手がお茶を濁すような発言を繰り返せば殴りかかる。それによって警察を呼ばれようと、一

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とにかく笑いたいときにみる映画

とにかく笑いたいときにみる映画

何も考えずに、笑いたい。そう思うときがある。
そんなとき、小さい頃から頻繁に見てきた映画がある。

今日はそんな映画の話をしてみたい。



ピーター・ファレリー&ボビー・ファレリーの監督作品『ジム・キャリーはMr.ダマー』(1994年)(1)は、映画『マスク』で知られるジム・キャリーと、『スピード』『オデッセイ』のジェフ・ダニエルズがタッグを組んだコメディ映画である。
ジム・キャリー演じるロイ

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償いの愛

償いの愛

「〜は許さない」ということが全面に押し出される作品は、つねに「説教臭さ」という敬遠される要素を持つ。一方、エンターテイメントを重視しすぎれば、「ただ面白いだけ」という理不尽な評価を受ける。
目指されるのは、社会批評とエンターテイメントが見事に調和した作品であるが、今回取り上げる『母なる証明』は、まさにその調和を達成していると言っていい。



『母なる証明』は、街のなかで「変わった子」として知ら

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暴力を直視する

暴力を直視する

スタンリー・キューブリック監督『時計じかけのオレンジ』は、その他の監督作品がそうであったように、様々な評価・批判が巻き起こった作品だった。この映画が英国で上映された際には、「若者の暴力行為を助長する映画だ」として、殺害予告を含めた誹謗中傷が、監督とその家族のもとに襲い掛かった。キューブリックの子供たちは、学校に通うことさえ困難になるような状況になる。結果として、興行的にはヒットを飛ばしていた『時計

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「グエムル」の側から世界をみる――『グエムルー漢江の怪物ー』(2)

「グエムル」の側から世界をみる――『グエムルー漢江の怪物ー』(2)

前回に引き続き、ポン・ジュノ監督の『グエムルー漢江の怪物ー』をとりあげます。



劇中では、在韓米軍龍山基地から漢江に垂れ流された有毒物質(ホルムアルデヒド)により、異常進化を遂げた生物(グエムル)が登場する。この生物に娘(パク・ヒョンソ)を誘拐された家族(カンドゥ一家)が、娘救出作戦に乗り出す。

ここで気になるのが、「グエムル」の生態である。劇中には、「グエムル」は一体だけしか登場しない。

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「家族」と「血縁を超えた連帯」――『グエムルー漢江の怪物ー』(1)

「家族」と「血縁を超えた連帯」――『グエムルー漢江の怪物ー』(1)

映画を見る上で、「映画監督」に意識を向けるようになったのは、ここ最近の話である。これまでは、気になるのはいつも「出演俳優は誰か?」という点だけで、大袈裟にいえば、面白ければ誰が監督であろうと構わない、というスタンスだった。
そういう雑な鑑賞の仕方をしていたがために、感覚としては「〇〇監督の作品は一本も見たことない」と思っていても、実際はすでに二、三本見ているということが稀ではない。
今回取り上げる

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劇中の『聖家族』――『ふたり』(2)

劇中の『聖家族』――『ふたり』(2)

今回も、前回に引き続き、大林宣彦の『ふたり』を取り上げたい。本稿では、主人公の姉妹である母親と、彼女が読んでいた本に注目したいと思う。



姉妹の母親は、劇中で堀辰雄の『聖家族』をリビングで読んでいた。それは、たまたま『聖家族』だったというわけではない。わざわざ『聖家族』だけをうつすカットがあることからも、その偶然性は排除できる。
では、なぜ『聖家族』なのか。実際に『聖家族』を読んでみると、『

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亡くなっても傍にいるーー『ふたり』(1)

亡くなっても傍にいるーー『ふたり』(1)

辛いことがあったときに、今は亡きお世話になった人と語らうことができたら、私たちの心情はどう変化するだろうか。

どんな人間であっても、生きているというだけで悩みに付き纏われている。誰かに自分の悩みを打ち明ける時、それを引き受ける人にも同じように悩みがあることを考えると、躊躇する。
死者は、現実の悩みから解放されている。つまり、「生きる」ことから生じる悩みから。であれば、私たちは、心置きなく悩みを打

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少年バットは現れない

少年バットは現れない

自分の人生を振り返ってみると、理不尽に人のせいにして、問題の解決を強行したことが何回かある。
自己の抱える問題が、画期的に解決されることは稀で、ゆっくりと時間をかけてなされることが多い。もし解決を強行しようとするならば、「あいつのせいで」と他人に問題の原因をなすりつけるしかない。しかもこれは根本的な解決につながることは少なく、結局再び問題と対峙せざるをえなくなる。

今敏監督の『妄想代理人』(20

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