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とにかく笑いたいときにみる映画

何も考えずに、笑いたい。そう思うときがある。
そんなとき、小さい頃から頻繁に見てきた映画がある。

今日はそんな映画の話をしてみたい。

ピーター・ファレリー&ボビー・ファレリーの監督作品『ジム・キャリーはMr.ダマー』(1994年)(1)は、映画『マスク』で知られるジム・キャリーと、『スピード』『オデッセイ』のジェフ・ダニエルズがタッグを組んだコメディ映画である。
ジム・キャリー演じるロイドは、ある日、運転手として勤務中、応対した女性(メアリー)に一目惚れしてしまう。別れた後も、メアリーのことを忘れることができなかったロイドは、彼女のいる「アメリカ・アスペン」を目指して、親友のハリーとともに、長距離旅を決行することになる。その長距離旅で遭遇する数々の試練(?)を、笑いなしに見とおすことは難しい。

この映画には、他者を貶めることによって得られる「笑い」が存在しない。終始、対等な関係にある親友との掛け合いによって「笑い」が生まれる。ストレスの無い「笑い」がここにはある(2)。
また、この映画は、ベースとなるストーリーやセリフは決まっているものの、出演人(主演・脇役を問わず)による数々のアドリブで溢れている。これは監督を務めたファレリー兄弟の方針によるもので、ジム・キャリーによって突然繰り出されるアドリブには、その他の出演陣は笑いを堪えるのに必死だったという。コントロールされていない笑いに満ちていたことが、この映画の魅力が生まれる大きな要因だと言えるだろう。


【注】
(1)脚本の段階では、『電動工具はオモチャじゃない』というタイトルだったが、「多くの人に認知されるように」とタイトルが変更された。

(2)一方で、他者から「笑われる」ことが許容されている(求められている)現場も存在する。例えば、木村覚『笑いの哲学』(講談社選書メチエ)の指摘によれば、綾小路きみまろの「笑い」は、観客の年齢や恰好を題材とするものが多いが、それに対して観客が不快感を示すことはほとんどなく、むしろ一つのパフォーマンスとしてそれを楽しんでいる(P.48〜52)。

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