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美談「忠臣蔵」の裏側

「忠臣蔵」という名称で知られる「赤穂事件」(元禄15年・1702年)は、播磨赤穂藩浅野家の旧臣47人が、主君の仇打ちを掲げて、江戸の吉良上野介屋敷へ討ち入りし、見事その目的を果たした事件である。
「赤穂事件」はこれまでに、様々な視点から分析されたり、小説化・舞台化・映像化されてきた。

例えば、歴史学者の山本博文は、著書『「忠臣蔵」の決算書』(新潮新書)の中で、旧臣47人が討ち入りの際に必要とした費用(700両・約8400万円)を残された史料から読み解き、忠義心だけでは埋められない現実的課題を明らかにした(1)。また、上記の書籍を原作として、中村義洋監督が『決算!忠臣蔵』(2019年)を発表している。

今回のnoteでは、渡辺邦男監督作品である『忠臣蔵』(大映、1958年)を取り上げたい。

滝沢修が演じる吉良上野介は、播磨赤穂藩士を「田舎侍」と罵倒する、いかにも狡猾な人間として登場する。市川雷蔵演じる、実直で家臣思いの浅野内匠頭とは、対照的である。

浅野内匠頭による斬りつけ事件は、将軍綱吉が京都の朝廷からの勅使に拝謁する準備をしている朝、起こる。この会での浅野内匠頭の役割は、勅使の接待をすることであり、吉良上野介はその指南役であった。
そのような関係性があった中で、吉良上野介から執拗な嫌がらせを受ける浅野内匠頭の姿を見ていると、「こんなことをされれば、我慢ならんかも」と思わされる。
しかし、浅野内匠頭の身体は、彼だけのものではない。彼には、播磨赤穂藩に関わる人間の進退がかかっている。彼の行動一つで、路頭に迷う人間が生まれるのだ。
結果的に、それは現実のものとなってしまう。その中で、旧臣47人は、ただ一つ、主人の仇を討つことを目標として、日々を生きていくことを選ぶことになるが、一方でその選択を取らなかった多くの人間が苦汁をなめるに至ったという現実も忘れてはならないだろう。

作家の小林信彦は、著書『映画×東京とっておき雑学ノート 本音を申せば』(文藝春秋)の中で、浅野内匠頭を次のように評している。

「あの時、吉良上野介は決して親切な人ではなかったろう。しかし、浅野は、十八年前に、一度、勅使接待をつとめていて、もう少しの我慢だとわかっていたはずだ。つまりは、幼児性の爆発である。そう考えると納得できる。」(P.251)

「忠義による家臣たちの仇討ち」という美談によって見えなくなっている現実を考えるとき、「忠臣蔵(赤穂事件)」は別の姿をもって立ち現れてくる。

【注】
(1)「何よりもつぶさに見ていきたいのは、最終的に四十七士が吉良邸討ち入りという大プロジェクトを遂行するにあたって、相談や指示伝達のための江戸ー上方間の旅費、江戸でのアジトの維持費、そしてこの間の生活費、さらに討ち入りを実行するための武器の購入費など、その諸費用をどのように賄い、また支出していったかである。資金的裏付けがあってこそ、吉良邸討ち入りは成功した。討ち入りに至るまでの金銭の意味は、一般に想像されている以上に大きかったはずである。」山本博文『「忠臣蔵」の決算書』新潮新書、P.4〜5)

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