見出し画像

亡くなっても傍にいるーー『ふたり』(1)

辛いことがあったときに、今は亡きお世話になった人と語らうことができたら、私たちの心情はどう変化するだろうか。

どんな人間であっても、生きているというだけで悩みに付き纏われている。誰かに自分の悩みを打ち明ける時、それを引き受ける人にも同じように悩みがあることを考えると、躊躇する。
死者は、現実の悩みから解放されている。つまり、「生きる」ことから生じる悩みから。であれば、私たちは、心置きなく悩みを打ち明けられるかもしれない。そうして、もし言葉が返ってくれば、素直に受け入れられるかもしれない。

大林宣彦監督の『ふたり』は、主人公・実加が、不慮の事故で亡くなった姉・千津子の霊と語らいながら、少しずつ成長していく物語だ。姉からみても、そして自覚してもいる主人公・実加の頼りなさは、時の経過とともに薄れ、一人の自立した女性へと歩みを進めていく。
死んだ者は歳をとらない。主人公・実加は、中学から高校へと進学し、姉が亡くなったときの年齢になる。自立を見届けた姉は、妹の前に姿を見せなくなるが(1)、それでも実加は心の中で姉の存在を感じながら、その思いを『ふたり』という題の小説にして、形にするのだ。

亡くなった姉・千津子は、周囲の誰もが認める自立した女性だった。しかし、外見上はそう見えたとしても、本人が弱さを抱えていないとは限らない。
劇中では、その弱さに気づいていた人物として、彼女の通っていた学校の教師が登場する。保護者懇談会にきた母親が、次女(実加)への心配を打ち明けるシーンで、教師は「それよりも千津子ちゃんのことを心配してあげてください。まだ子どもなんですから」と口にする。その言葉に母親はハッとさせられるのだ。
一方、外見上は頼りがいのない人間として認知されている実加のことを、「ほんとうはそうではない」と捉えていたのが姉の千津子だった。だからこそ、その面を妹が自覚して生きられるように、彼女は死後も妹を支え続けるわけだ。
一人で静かに涙する、自身の弱さを内に隠して。

(「劇中の『聖家族』ーー『ふたり』(2)」へと続きます。)

【注】
(1)姉が妹の前から姿を消す過程について。『ふたり』の原作となった赤川次郎の同名小説の中で、思想家・鶴見俊輔が次のようにまとめている。

「『ふたり』は、姉の事故死のあと、姉が妹の内部に住みついて、妹の成長を助けてゆく物語で、姉が消えてゆくのは、妹が姉の年齢まで生きて、姉が直面することのなかった問題(父の浮気:注)を自分の力で切りぬける時である。」(赤川次郎『ふたり』の「解説」より、P.301〜302)

 ちなみに、大林宣彦が赤川次郎の『ふたり』を映画化するにいたったきっかけは、以下の通りである。(文中の「関川」とは、対談相手である関川夏央のこと。)

「関川 今度の「ふたり」の場合は監督ご自身が赤川次郎さんの原作を見つけられたんですか。
 大林 実はある日、武内好古さんから一枚の葉書を頂きましてね。赤川さんの『ふたり』という小説を大林さんが映画にするととても面白いですよ、ということが時候の脇に書かれていたんです。それからこれは結局組まなかったんですが、別のプロデューサーからも「ふたり」を映画化しないかという話がありましたね。偶然に二人の人から言われるぐらいだから、これは何かあると。で、NHKの「こどもパビリオン」という番組から話があって実現したという具合なんですが、実は赤川さんの原作はこれが初めてなんですよね。」(『大林宣彦メモリーズ』キネマ旬報社、P.358)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?