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中里介山『大菩薩峠』を映画で味わう

中里介山が約30年間連載を続け、惜しくも未完で終わってしまった一大巨編がある。

『大菩薩峠』

ちくま文庫版で全20巻にも及ぶ小説だが、これが幾度か映画化されていることを、皆さんはご存知だろうか。

市川雷蔵主演の『大菩薩峠』(大映)は三部作となっている。一部と二部(竜神の巻)は三隅研次が、三部(完結編)では森一生が監督をつとめた。
簡単なあらすじを、以下より紹介していきたい。

甲州(現・山梨県)の大菩薩峠では、旅人が刀によって斬り捨てられるという凄惨な事件が続いていた。旅人・お松も父を殺害され、孤独の身となった娘だが、ちょうど通りかかった「裏宿の七兵衛」という人物に助けられ、厄介になる。
旅人の殺害を続けていたのは、「音無しの構え」で知られる机竜之助。彼は実際に人を斬ることによって、剣術を向上させてきた。
そんな中、机と試合をすることになっていた「宇津木文之丞」の妻・お浜が訪ねてくる。彼女の目的は、夫の将来のためにも試合に負けてくれないかというものだったが、机は聞き入れず、さらにお浜を犯して身篭らせてしまう。
試合の結果、致命的なダメージを負わされた宇津木文之丞は死ぬ。それが契機となり、机は追われる身となる(追うものは、文之丞の弟・宇津木兵馬)。そこから彼の人を斬り続ける流浪の旅がはじまる。

机竜之助は、容赦なく人を斬り続ける。その姿には、一縷の迷いもないように見えるが、そうではない。机はたびたび睡眠中にうなされたり、起きているときでも幻聴や幻覚に襲われる。映画内でも、机を襲う幻聴や幻覚が視覚的に表現される。映像内の風景は歪み、殺めたはずの人物が濃い陰影を帯びて現れるシーンは象徴的だ。無惨にも殺された者たちが、成仏されないまま、机竜之助に取り憑く。

吉田広明による評伝『映画監督 三隅研次』(作品社)を読むと、三隅版『大菩薩峠』の制作背景がわかり、興味深い。特筆すべきは、三隅版『大菩薩峠』は、内田吐夢による東映版『大菩薩峠』三部作が完結した直後に、製作・公開されたものであるという事実である。いまだ、内田版『大菩薩峠』の記憶が鮮明な中での撮影は、それだけでも厳しい環境である上に、そこに、二十日間という撮影日数の短さや、主演俳優・市川雷蔵の体調不良(1)、ヒロイン配役の変更などが重なるなど、不安定な要素に満ちていた。そんな中で、傑作と評しても差し支えない『大菩薩峠』を撮影した三隅の力量と、その他の関係者の尽力には驚かずにはいられない。


【注】
(1)映画内で見事な演技を見せていた市川雷蔵だが、彼は生まれつき身体が弱く、運動神経もいいとはいえなかった。また、目も悪く、10代はじめの頃から眼鏡をかけていた。このため、映画デビューの頃は、俳優として期待されていなかったという。
(参考文献⇨大島幸久『歌舞伎役者 市川雷蔵』中央公論新社、P.102〜103)

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