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児童福祉司、面接、ソーシャルワーク。
児童福祉司ってなんだろう。
子ども家庭ソーシャルワーカーの資格を巡る諸所の経過を他人事のように眺めている。
あたりまえか、その議論の渦中に、当事者の姿が見えないのだから。
いつだって人間(ヒト)は、他人(ヒト)の畑を耕すのに忙しい。
先日請け負った研修のテーマ
児童福祉司のおこなう面接、その大切なこととはなんだろう。
この仕事
深刻度と影響は違う
影響がどのくらい今出ているかは見える
深刻度は
大切にされた、感触。
17歳だった。
女子高生だった。人数のいない陸上部、友だちと戯れあって、土日は昼過ぎまで寝て。
17歳だった。
弟妹たちの心配をしていた。両親のいる家の中に安心がなかった。早く大人になりたいと願っていた。
風の中に溶けるようにさらさらと、指先から流れるように消えてしまいたい。
同時に、いつだって明日が来ることを信じていた。
17歳だった。
多分、その日が限界で。
馬鹿みたいに晴れ渡った美しい
ソーシャルワークについての独り言
ソーシャルワーク(SW)について、時代ごとに定義が異なります。
正直、何をくさいこと言ってるの、と笑われてしまうから言わないんですけど、私はSWは「愛」だと思っている。
今は「スキル」とか、洗練された技術として表現されて、その専門性の担保というか、そういうものが進んでいると思うんですけど、もっと古くには「アート」と表現した時代もあったようで、そういう方が、なんというか、色気があるな、と思うんです。
ミュージカル、レ・ミゼラブルの、回想。
高校は女子校で、それも良いところのお嬢様が集うような学校だった。
いつだってどこかアウトローを外せないけれど、私も確実に「お嬢様」なわけで、それはそれでひどく滑稽だった、10代後半の頃。
その高校はミュージカル「レ•ミゼラブル」を毎年文化祭で上演する同好会があって、縁あり私も一年間だけ携わっていた。
プロの演技を観たくて、同好会のメンバーは親にもらったお金で帝劇に足を運び、日傘をさして並び手に入
ソーシャルワーカーというしごと
ソーシャルワーカーという仕事を、生き方としてさせてもらっている。
この仕事の難しさは、踏み留まるべき処で踏み留まれるか、ということで。
それができるかは、人生に伴走するソーシャルワーカーに胆力がどれだけあるか、が肝要だと心底思う。
その人の人生にとって、踏み留まるべき処に在り続ければ、必ずそれを支える信頼という繋がりが生まれるのですが、
それまでがしんどい。
積み木崩しになると、特にしんどい。
誰かと住まう、変わりゆく家族の形と他者との関わり方。
66の母と会うと、このところ「断捨離」と「おひとりさま」の話ばかり。
もっぱらの母の悩みは「一人暮らしの気楽さ」と「一人でしか生きられない劣等感」がテーマだ。
母の生きた時代は、核家族化と夫婦ご一緒、がしあわせの形、という強烈な社会の刷り込みがあったから、そこに染まれない母は随分気苦労あったことだろう。
かくいう娘も、気楽なおひとりさまで、のんびり過ごす休日、淹れたてのコーヒーが何よりもの幸せなも
偉くなるより評価されるよりも、目の前のこの人、に誠実でありたい。
今週は随分バタバタしていて、おまけに今日は凹むこともあった。
それでも牡牛座が最下位じゃないのを確信しているのは、あいも変わらず、周りの優しさが確かにあるからです。
徒党を組めない。忖度できない。
周りにどんなに評価されるよりも、ただ目の前にいるこの人にいかに誠実であれるか、そのことの方が大事なんだ、と。
相談の仕事、専門性の只中に放り出された丸腰は、ただただそのことだけは一つ踏みとどまろうと、
嫌われても、まぁいいか。
不思議なもので、最近人に好かれてなくていいや、が自然体になった。
攻撃されるのは、今も嫌だし、好き好んで嫌われたいわけじゃないんだけど。
今まで頭で考えていたことが、ストンと急にそうなった。
それは自分が成長した、とか、「自分軸で生きるの」みたいなキラキラした感じというよりも…なんですかね、体力の衰えというか。とにかく、だるくて、面倒くさい、だからもういいか、みたいな、そんな、感じ。
だから、
稼ぐのと同じくらい、自分の収入内で幸せに生活をすることは尊い。
元夫とは単純に、収入以上の生活をやめられない人なので別れました。
最後まで、それがどれだけ困ることなのか、わからなかったようです。
一緒に生活していたころ、度々言われていたこと。
「お前の周りの人間が変わってるんだよ。
俺の周りはみんなこんな感じだし、その中ではまだいい方だもん」
離れた後に、関わっている子どもたちの自立生活の支援を通じ、昨今の日本の貯金事情を調べました。
すると、あながち