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甘えたい時には優しい遊びを。

その人が心を許してくれたと感じるのは、甘え、が出てきた時に感じます。
だけどその甘え方が度を超えちゃって、傷つけ合うことの多さ。
甘え方が年不相応な人って、私の周りに珍しいことではない…というか、甘えに年相応もへったくれもないのですが…とにかく、私が出会った人々は、示す甘えを出すような年齢の時に遡ると、大切な大人との関係の中で深く傷ついた体験をしていることが多いことに気づきます。

19歳が持ち物を一つ一つ持ってきては話をしていて、小学校低学年くらいの子の甘え方だなあ、と思っていたら、その子はその頃、親と離れて施設に入った経験がありました。
37歳の大人が、食事の終わった別れ際、帰っては嫌だと繰り返し、まるで2歳の坊やだと思ったら、彼はその頃、実親が育てられないからと、養親に引き取られていました。

甘えたい気持ちは、満たされなさからくるのでしょうが、驚くべきことに満たされなかった時のまま、心の成長が止まってしまう。
だけど体と頭は大人になっていて、なんとかその年相応の顔をしながら過ごし、周りは当然大人として扱っている。

なんか、しんどい。

以前の私は、プライベートでは特に、その満たされなさを満たそうと注ぐことばかりして、結局自分自身の潤いを失い、お互いに傷つくような関係に陥ることがたくさんあったなぁと思います。

私が関わる中高生の子どもたちは、信頼関係が築けると、幼児が遊ぶようなおもちゃで一緒に遊ぶとすごく嬉しそうな表情を見せる子がたくさんいます。
満たされなかったその頃の寂しさが、中高生になった今、「問題」として現れてきているのでしょう。
その頃に、戻ることはできないし、私はその子が満たして欲しい、と思った相手ではないのだけど。
今、一緒に、楽しい、を共有できているのだからいいか、と思ったりします。
だけどそれだけでは、その年相応のすべき決断ができず、掴めたチャンスをのがしてしまうから、この現実に年相応に向き合う作業にも一緒に取り組む。
そんな日々から、自身を傷つかない距離感を保ちつつ、程度に甘えを受け止めながら、その人を年齢相応に尊重することが、いかに大切で、同時に難しいかということを、しみじみ思う、今日この頃です。

大人の方が甘え方を拗らせていて。
特に仕事という境界線に守られないプライベートの付き合いは尚更難しい。
もしかしたら、大人になってからも、子どものように、たくさん遊ぶといいのかもしれませんね。
何か心が、満ちる体験となるのではないでしょうか。

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