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自分の人生と誰かの人生と。一緒に歩んできた中に想う、日々の徒然。少しほっとする、201…

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自分の人生と誰かの人生と。一緒に歩んできた中に想う、日々の徒然。少しほっとする、201号室、私の部屋。→→→社会福祉士/精神保健福祉士/公認心理師/38歳の、女性。【エッセイ】

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ようこそ、こちら201号室、Mihoの部屋。

 はじめまして。  今日からnoteを始めました、Mihoです。  少し、自己紹介をさせてください。  私はソーシャルワーカーという、日本ではまだ聞きなれない仕事をしています。誰かの人生に伴走して、その方が自己実現しながら生きるために世界の調和をはかる、そんなお仕事です。  ずっと携わってきたのは、子どもと家族に関わる現場で、気がつけば現場の最前線はもう後輩ばかり、という年齢になってしまいました。  この仕事を続ける中で気がついたことは、子どもの成長には「安心な居場所」が

    • 児童福祉司、面接、ソーシャルワーク。

      児童福祉司ってなんだろう。 子ども家庭ソーシャルワーカーの資格を巡る諸所の経過を他人事のように眺めている。 あたりまえか、その議論の渦中に、当事者の姿が見えないのだから。 いつだって人間(ヒト)は、他人(ヒト)の畑を耕すのに忙しい。 先日請け負った研修のテーマ 児童福祉司のおこなう面接、その大切なこととはなんだろう。 この仕事 深刻度と影響は違う 影響がどのくらい今出ているかは見える 深刻度は内部障害みたいなもの 痣できてるけど元気だし、が下手したら何年も後に倒れたり 私

      • 大切にされた、感触。

        17歳だった。 女子高生だった。人数のいない陸上部、友だちと戯れあって、土日は昼過ぎまで寝て。 17歳だった。 弟妹たちの心配をしていた。両親のいる家の中に安心がなかった。早く大人になりたいと願っていた。 風の中に溶けるようにさらさらと、指先から流れるように消えてしまいたい。 同時に、いつだって明日が来ることを信じていた。 17歳だった。 多分、その日が限界で。 馬鹿みたいに晴れ渡った美しい朝、 私は初めて、熱がないのに学校を休んで部屋に閉じ籠り。 そんなことで私の欲

        • ソーシャルワークについての独り言

          ソーシャルワーク(SW)について、時代ごとに定義が異なります。 正直、何をくさいこと言ってるの、と笑われてしまうから言わないんですけど、私はSWは「愛」だと思っている。 今は「スキル」とか、洗練された技術として表現されて、その専門性の担保というか、そういうものが進んでいると思うんですけど、もっと古くには「アート」と表現した時代もあったようで、そういう方が、なんというか、色気があるな、と思うんです。 色気って、人間味、みたいなもんで、なんていうか、混じり気というか、ある意味不要

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        ようこそ、こちら201号室、Mihoの部屋。

          ミュージカル、レ・ミゼラブルの、回想。

          高校は女子校で、それも良いところのお嬢様が集うような学校だった。 いつだってどこかアウトローを外せないけれど、私も確実に「お嬢様」なわけで、それはそれでひどく滑稽だった、10代後半の頃。 その高校はミュージカル「レ•ミゼラブル」を毎年文化祭で上演する同好会があって、縁あり私も一年間だけ携わっていた。 プロの演技を観たくて、同好会のメンバーは親にもらったお金で帝劇に足を運び、日傘をさして並び手に入れた当日券の立ち見席で観劇に耽り、帰路はその歌唱力を語り合うのだった。 私が感じ

          ミュージカル、レ・ミゼラブルの、回想。

          女、36歳、家を買う。

          今の住まいを購入したのは一目惚れに近い衝動で、だけどぞっこんで好きになっちゃったんだからもう仕方ないかと思っている。 不動産を買う、ということは、人生を決める、ということだ。 少なくとも、私にとってはそうだった。 大好きな親しみある土地に、幼少の頃からある、趣ある佇まい。 そこに自分の拠り所がある。 ただそれだけ。それだけで、心底安らぐ。 離婚して正式にフリーになって、36歳。 若くはないけど、まだ出産を望める年齢。 これから結婚するかもしれないし、子どもを産むかもしれ

          女、36歳、家を買う。

          ソーシャルワーカーというしごと

          ソーシャルワーカーという仕事を、生き方としてさせてもらっている。 この仕事の難しさは、踏み留まるべき処で踏み留まれるか、ということで。 それができるかは、人生に伴走するソーシャルワーカーに胆力がどれだけあるか、が肝要だと心底思う。 その人の人生にとって、踏み留まるべき処に在り続ければ、必ずそれを支える信頼という繋がりが生まれるのですが、 それまでがしんどい。 積み木崩しになると、特にしんどい。 そのしんどさの中にあるから、踏みとどまれずに傷つき傷つけることを繰り返してし

          ソーシャルワーカーというしごと

          誰かと住まう、変わりゆく家族の形と他者との関わり方。

          66の母と会うと、このところ「断捨離」と「おひとりさま」の話ばかり。 もっぱらの母の悩みは「一人暮らしの気楽さ」と「一人でしか生きられない劣等感」がテーマだ。 母の生きた時代は、核家族化と夫婦ご一緒、がしあわせの形、という強烈な社会の刷り込みがあったから、そこに染まれない母は随分気苦労あったことだろう。 かくいう娘も、気楽なおひとりさまで、のんびり過ごす休日、淹れたてのコーヒーが何よりもの幸せなもんだから、困ったものである。 母は先日上野千鶴子先生の出ていた何某の番組を観た

          誰かと住まう、変わりゆく家族の形と他者との関わり方。

          寝ること食うこと笑うこと

          寝ても寝ても、眠たい土曜日。 ネガティブなぐるぐるは、寝れば寝るほど遠のくから、やっぱり睡眠って大事。 過覚醒と過眠を未だに繰り返している自覚はあって、だけど過覚醒を利用して、溜まってしまった事務処理をこなしているのも事実だったりする。 わかってるからこその、悪い癖。 思考が次から次へ止まらなくなるあの感じに侵されると、お腹も減らないし、とにかく眠りが浅くなる。そんな生活が一週間以上続いていたから、ようやく解けた今週末が、こういう過ごし方になるのは寧ろ自然なんだろう。

          寝ること食うこと笑うこと

          偉くなるより評価されるよりも、目の前のこの人、に誠実でありたい。

          今週は随分バタバタしていて、おまけに今日は凹むこともあった。 それでも牡牛座が最下位じゃないのを確信しているのは、あいも変わらず、周りの優しさが確かにあるからです。 徒党を組めない。忖度できない。 周りにどんなに評価されるよりも、ただ目の前にいるこの人にいかに誠実であれるか、そのことの方が大事なんだ、と。 相談の仕事、専門性の只中に放り出された丸腰は、ただただそのことだけは一つ踏みとどまろうと、23歳のあの時に決めて。それから10年以上が経って、それなりに経験を積み、学び、

          偉くなるより評価されるよりも、目の前のこの人、に誠実でありたい。

          嫌われても、まぁいいか。

          不思議なもので、最近人に好かれてなくていいや、が自然体になった。 攻撃されるのは、今も嫌だし、好き好んで嫌われたいわけじゃないんだけど。 今まで頭で考えていたことが、ストンと急にそうなった。 それは自分が成長した、とか、「自分軸で生きるの」みたいなキラキラした感じというよりも…なんですかね、体力の衰えというか。とにかく、だるくて、面倒くさい、だからもういいか、みたいな、そんな、感じ。 だから、20代でぐるぐる足掻いて、30代前半、必死こいていた自分に、ちょいちょいと肩を叩

          嫌われても、まぁいいか。

          自分のことが、一番わからない。

          昨日カサついていた唇に、朝起きたら口唇ヘルペスがわんさかできていた。 体が、弱っているの。だけど本当に無自覚で。 振り返ってみると、年末年始をコロナで休んだ分の仕事が押せ押せになっていて。乱発するイレギュラーと予定外。おまけに大きな会議もあったところで。 「大丈夫ですよー」は強がりではなく本音だったんだけど。 「大丈夫じゃないよぉ」と体は素直に表してくれていたのでした。 過集中してしまうのは悪い癖で、気づきがあるとワクワクが止められなくていつまででも取り組んでしまう。 そ

          自分のことが、一番わからない。

          稼ぐのと同じくらい、自分の収入内で幸せに生活をすることは尊い。

          元夫とは単純に、収入以上の生活をやめられない人なので別れました。 最後まで、それがどれだけ困ることなのか、わからなかったようです。 一緒に生活していたころ、度々言われていたこと。 「お前の周りの人間が変わってるんだよ。   俺の周りはみんなこんな感じだし、その中ではまだいい方だもん」 離れた後に、関わっている子どもたちの自立生活の支援を通じ、昨今の日本の貯金事情を調べました。 すると、あながち彼が言っていたことは、間違いではなかったかな、と思いました。 https://

          稼ぐのと同じくらい、自分の収入内で幸せに生活をすることは尊い。

          人生のBGMを、変えるの。

          夫と離婚したその日、高校時代からの友人に久しぶりに連絡をした。 元気?私別れたー。        本当?私も別れたわー。 私の展開は予想通りで、彼女の展開は予想だにしなかったもんだから。 すぐさまホテルをとって、軽自動車に一泊分の荷物を詰め込んで。 助手席に彼女、運転手は私。弾丸で旅に出たのでありました。 出発の日は台風が来ると言われた週末で、山間部にいくことを彼女の家族は心配し、私の母はいつもの娘の様子に若干呆れた様子を垣間見せつつ、双方見送られて。 彼女は「36にも

          人生のBGMを、変えるの。

          笑い疲れて、眠れるしあわせ。

          一緒にいると心地よいと相手は、頭で考えて決めるものではないのでしょう。 理屈で考えると、居心地が悪くなってしまう。 ただ単純に。一緒にいて、よく笑い、良く食べて、だから深く眠れる。 日々の暮らしとは、多分そういう繰り返しで、頭で考えてコントロールするものではないのでしょう。 「信頼でき得る為人の方との愛着関係」を略して「信頼関係」と言うのかな、とぼんやり考えながら帰宅した金曜日。 私は関係が近づけば近づくほどに、「信頼でき得る」かどうか、と言う部分を頭を使って考えてしまう。

          笑い疲れて、眠れるしあわせ。

          ママと、馬が合わない。

          親子だからって馬が合うわけではありません。 むしろ、馬が合わない相手でも、なんだかんだ付き合わなければいけなくっていい距離感を試行錯誤できるのが家族、と思っています。 子育ての相談の中には、「もし同じクラスにいたら絶対仲良くならないタイプ」の組み合わせがあったりして、そんな時は相談者の目指すところが「仲良し親子になる」だったりすると辛い。 だけど最初の入口がどうであれ、相談を重ねる中で「どういう距離感だったらうまくいくか」という話になっていって、収束していくことがよくありま

          ママと、馬が合わない。