見出し画像

ママと、馬が合わない。

親子だからって馬が合うわけではありません。
むしろ、馬が合わない相手でも、なんだかんだ付き合わなければいけなくっていい距離感を試行錯誤できるのが家族、と思っています。

子育ての相談の中には、「もし同じクラスにいたら絶対仲良くならないタイプ」の組み合わせがあったりして、そんな時は相談者の目指すところが「仲良し親子になる」だったりすると辛い。
だけど最初の入口がどうであれ、相談を重ねる中で「どういう距離感だったらうまくいくか」という話になっていって、収束していくことがよくあります。

かく言う私も、母が苦手です。
母と似たようなタイプの、妹も苦手です。
集団の共同を重んじる母や妹と、自立し自律した生活を望む私とでは、生き方の基礎としての価値観が違うのです。
本当はそれだけのことで、もし同じクラスに彼女たちがいても、積極的に交わらないから「なんとも思わない」でしょう。

だけど家族は違う。
一緒にいる時間も長ければ距離も近い。
おまけに「家族だから」という枕言葉に「仲が良い」「分かり合える」「支え合える」と言うワードが強力に連なっている。
それによって「違う」相手に対する「思うようにならない」が不満としてたまりやすく、爆発し、「攻撃」するところがあって。
…「攻撃」までいってくれれたから、わかりやすく距離をとれたのですが、それまでは「家族の愛情」と言う顔をした、時間・お金・労力に対する「搾取」が繰り返されていたものだ、としみじみ思います。

彼女たちも、それなりに友達がいて、仕事や子育てもしていて、それなりに生活している。
私もまた、同じで、ちゃんと友達がいて、仕事をして、いい関係に恵まれている。
過去、コテンパンに言われたものですが、社会に適応し充実して生きている以上、どちらが「おかしい」とかいう話ではなく、ただ馬が合わないだけなのです。

同時に。
「家族なのに、合わないって、寂しいじゃないですか」
そう言った、相談者であるお母さんの言葉に、私は深く共感しました。

親が悪い、家族が悪い、そうやって相手に原因を置ける時とまた異なり、
「一番身近な家族とさえ、距離を置かないとうまくやれない」と言う状況に、一種の寂しさを感じることは事実です。
だけど、寂しいと感じることは、「家族の中で異質なあなたが悪かった」ことを裏付けるものではありません。

相手が、周りが、なんと言おうと。
傷つけ合わない距離を保つ配慮ができるのは、あなたを大切にすることでありますが、同時に相手を傷つけず、傷つけさせずにすることであり、結果として大切にすることでもあります。

ママと、馬が合わなくても、大丈夫。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?