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嫌われても、まぁいいか。

不思議なもので、最近人に好かれてなくていいや、が自然体になった。
攻撃されるのは、今も嫌だし、好き好んで嫌われたいわけじゃないんだけど。

今まで頭で考えていたことが、ストンと急にそうなった。
それは自分が成長した、とか、「自分軸で生きるの」みたいなキラキラした感じというよりも…なんですかね、体力の衰えというか。とにかく、だるくて、面倒くさい、だからもういいか、みたいな、そんな、感じ。

だから、20代でぐるぐる足掻いて、30代前半、必死こいていた自分に、ちょいちょいと肩を叩いて、「そのうち、気にしたくても気にできなくなるから、大丈夫よ」と、言ってあげたい。

嫌われてもいいか、と思うようになってからの方が、自分のことが好き。
というよりも、自分に好意を向けられることに対して卑屈ではなくなった。
多分自分の本質は、びっくりするくらいに変わっていなくって、三歳児の無邪気で無鉄砲な心のまま。剥き出しの感受性のままでいれば、当然転んだりしたら半ズボンの両膝はズルムケなんだけど。あーあー、、結局、この年までそんな感じで。

心動くことに夢中になって、遊び疲れて眠ってしまう。

そんな大人、邪魔くさくて仕方ないだろうと、一所懸命に「大人な自分」を演じてきたんだけど。…これまたびっくりするほどに演じきれていないことにいつも凹んで、大人にならなきゃ、迷惑かけないようにしなきゃ、そう思っていて。
そうやって、私のバカみたいなまっすぐさに、むけてくれていた好感から、ずっと目を伏せて見ないようにしていた。

だけど、迷惑そうな顔をしていた人たちは、結局私が何をしても煙たい顔で。
なんだ、私の行動が迷惑だったんじゃなくて、私のこと嫌いなだけなんだ。
そう思ったら、なんかどうでも良くなった。
そういう相手は、もう私が多分何をやったところで、嫌いは嫌いのままだろう。
それよりも、伏せていた目をあげてみたら、そのままの私を好ましくみてくれている人たちがちゃんといて、そういう人たちは本当に目立たないんだけど、確実に変わらずそこにいた。
「ああ、この人たちを大切にしよう」と思った。
同時に、この人たちが大好きな、「等身大の自分」を大切にしようと思った。

嫌われることを赦せたら、自分を大切にできるようになるなんて。
人間はなんて、逆説的な生き物なんだろう。

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