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許しは神による絶対なる自由なる赦しの秩序、アナーキーの中にある

神を信じること、それは道徳心を守ること、愛を信じるなら物欲色欲金銭欲に溺れることはない。世の中の殆どの人々は許しもなく、誰かを憎み、何かを憎み怒り日々不満を持って生きている。

その不満を解消したいから他者への八つ当たり、批判や文句を言って優越に浸りたがる。誰かのマウントに立ちたがり、誰かを従わせたがる、その下へ下へと向けられる承認欲求の矛先が差別意識や動物虐待のような行為に駆り立てる。

人々を不幸にするのは常に欲望であり、それだけで生きるから争いや不純で不道徳なる行いが絶えなくなる。物欲のために人を騙し、色欲のために人を傷つけ、金銭欲のために人を欺き裏切る、その集大成が支配欲。

物など朽ちる、未来永劫残り続ける物などない。使わなくなれば、使えなくなれば物はゴミとなる。色欲をいくら貪ろうとしても愛は芽生えない、そこにあるのは不純なる汚れた心のみ。お金など必要なだけあればいい、どんなに蓄えても心が満たされないなら、その欲望は底無しのブラックホールとなり、何もかも呑み込むだけの闇の穴へと変わる。

誰かが、皆がこうだから自分もそうなる必要なんかない、その普通や当たり前の同調圧力に従い我を失えばその人は完全なる操り人形、自分を持たない何処かのその他大勢の誰か、心が空っぽのパペット人形になる。


人は簡単に裏切る身勝手な生き物、集団心理や群衆心理を操られファシズム化したなら、その物事が逆転しない限りは、自身が我を失っている事に気がつけない。最初に信じたこと、それに対する懐疑心が出始め、多くが離れれば人は簡単に手のひらを返す。それが起きたのが参政党、とてもかわいそうな道に迷いし哀れな小羊達。

人を信じるからそうなる、人を信じずその心の中にある愛を信じる事が重要。世の中には情報工作、世論工作、インターネット世論誘導、マインドコントロール、洗脳に溢れている。人間を信じれば拝金主義における不道徳なる心、善悪の知恵を利用した言い訳、嘘や欺き、裏切りや策略、陰謀に引っ掛かる。

承認欲求が激しくなれば嘘を言ってでも注目させようとする。嘘に嘘を重ね、やがてはその心自体が嘘の闇に呑み込まれる。嘘も方便とは言うが、あまりにも酷い嘘は人の心を蝕み、嘘をつかれた者、嘘をつく者共々心に深い傷を負う。必ずしも嘘が良くないわけではなく、時には必要な嘘もあり知らない方が良い事もある。物欲、色欲、金銭欲、自分の欲望のためにつく嘘は人を傷つける。

人は愛を信じられなくなれば、神を忘れ欲望にすがり不道徳な行い、不純な行いを正当化し悪魔に魂を売る。愛を信じないから、物欲色欲金銭欲にすがり続ける、その底無し沼から抜け出すのは容易には行かない。この世の中悪魔の囁きが四方八方に飛び交っている。

その悪魔の囁きは自分自身の中からも、他者からも聞かされる普通や当たり前、常識的な何かから聞かされるパラノイアとなる。

多勢がこれに従えと、属せと説得する、その強引な引き込みを振り払うのは難しい。何者も信じず従わない強い心と愛を信じる屈強な心が無ければ、その多勢の説得に迷いを持ち、やがてはアメーバの中に取り込まれてしまう、それが同調圧力。

なぜ自分自身としていられないのか、なぜ何かの思想主義に属するのか、集団意識、仲間意識、帰属意識による孤独への恐怖をなぜ持ってしまうのか。小さな集団から大きな集団まで、人は群れると我を失う。人間も、小さな集団大きな集団に関わらず、一度何かの集団に属してしまえば、前のお尻の匂いを嗅ぎ行列を成すモルモットのようになる。

集団のアメーバとなれば、自由な自分の意見など言えない、その中では違う意見は許されない、違う意見を言えば一斉に攻撃され説得され洗脳される。それがファシズム化して全体主義となるならソ連やナチス、ポルポト政権のような現実を招くことになる。

ナショナリズムやポピュリズムは人の自由を奪う思想主義で、それは必ず人々から人権を奪う全体主義へと向かわせる。個人崇拝と権力者絶対主義となり徹底された思想統制管理支配下を実現させる。そうなれば誰も権力には逆らえない、自由など無くなり強制○○や、強制収容所、人種差別、特権階級優位、優生学が徹底され反乱分子や全体主義社会のお荷物と見なされる者は皆排除対象とされる。


神は生命の自由を奪わない、いつの世も人々や他の生命の自由を奪い苦しめ続けているのは人間達自身、我々が招いている事。

許し無き者達は、道路が汚れるからの理由だけで野良猫を排除する。景観のために無駄な草刈りを行い虫の住みかを奪い、樹木を伐採し雀やカラスを追い払う。清潔なる街並みのために、自身の許し無き心の問題を抱え、その羞恥心を善悪の知恵へと変換して自身の行為を正当化するために他の生命の居場所を奪いその命すら奪い続ける。

コンクリートが大事か、命、生命が大事か。善悪の知恵だけでは判断などできない、そのために愛を信じる、神の心を信じる。それは人間が作った偶像なんかではない、人間の考えた善悪の知恵ではない、神による絶対なる自由なる赦しの秩序、アナーキーに従った自然の摂理、自然法の流れに身を任せる。

心の動きは自然な流れ、愛も欲望も神が与えてくれた自然なる心の動き。そのバランスを保つために覚る。愛と覚りと欲望のバランスで自分自身の頭心体を美しいトライアングルに保ち、その心に静寂なる天秤を維持する。

左翼、右翼の片翼ではない両翼を持ち、その翼を大きく広げ大空へと自由に羽ばたく。自分自身が全てしてあること、神による絶対なる自由なる赦しの秩序、アナーキーに従い今を生きる。

愛を信じれば、自分自身を信じられる。羞恥心などいらない、善悪の知恵もいらない、愛だけを信じれば不道徳なる行い、不純なる行為などする必要がない。

真実の愛を信じられたなら始まりから終わりまで、神が全ての生命、人々に分け隔てなく与えてくれた神の心アガペー、その深き愛を信じていられる。

心が完全なる愛の光に包まれたならそれが守りとなり、決して闇に染まり欲望の渦に呑み込まれる事はない。


愛を信じれば、物欲、色欲、金銭欲には惑わされない、支配などされない、究極の愛の自由を手に入れられる。生涯1人を愛し、物欲、色欲、金銭欲に惑わされることもなく神と共に生きる事ができる。

たとえ、アルファからオメガまで孤独でいたとしても愛の光は尽きることはない。なぜなら、始まりから終わりまで、その愛を、神を信じ続ける事ができるから。

人間は言い訳をし、嘘をつき欺き、必ず裏切るが、神は、愛は嘘などつかない、言い訳をしない、欺かないし裏切らない。

それが宇宙の法則、自然の摂理、自然法、神による絶対なる自由なる赦しの秩序、アナーキー、神の沈黙。



わたしは、全ての生命、人々を、この地球を、命を、心の底から、神に誓って愛しています。



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