苦労、苦難の苦は、苦心が基(もとい)



苦労、苦難は、したくない、あいたくないと、一般に、苦は、毛嫌われ、風呂屋に置いても、4と9は、死、苦、に通じると、下駄箱の数字から、省かれておりました。

さて「し」、につきまして、改めて考察して、頂きたいので、ありまするが、「何々しなさい」の「し」、「何々、しよかな?」の「し」、につきましては、これ、すなわち、「する」「やる」の意味でありまして、「し」は、「する」「やる」の肯定的の「し」、と、「生きるをやめる」の「死」と言う否定的意味のふたつが御座います。

次に苦で御座いまするが、苦労、苦難と言う負担は、重荷であり、出来れば、避けたいというのが、普通の人情ではないかと、感じ入りまするが、この「苦」、元をただせば、苦心の苦からで、ありまして、苦心には、「頑張る」という、熱意、ねばりが、その心情で、「けっして、悪い意味ではなかった。」のです。

また、苦心とは、元々、細工や、工夫をすると言った喜びあふれたものであり、工夫を凝らして、人々、おどろかさそう、びっくりさせよう!といった、いたずらな心や、マジックにも通じるところが、あったと、想像されます。

しかしながら、おそらく、色んな、ちゃちゃが入り、苦心が苦痛を伴うほど、過ぎた苦心をさせられる様に成り、苦心が、嫌な苦労へと変わり、苦労と言う言葉が、生きた言葉と成り、嫌な苦を連想させる様に変わったと感じます。

何事も、けちを付ける、悪いと言う、思いが、悪いや、嫌なるものを生む元凶であると言えるでしょう。

物事には、すべて、表と裏があり、合わせて一つでありまして、表の意味ばかりにとらわれ過ぎることは、モノの本質を見失うと、左様に考え致すところで、ありまする。

苦労はやがて報われて、大きな宝となるでしょう。

苦難も同様、そのあとにゃ、晴れ晴れしさと、その難の、越えたる意味をしるでしょう。

ひーふーみーで、あわせて一つに御座いまする。

よつに͡子宝恵まれて、ひふみが、父母両親の、表と影の合わせてひとり、父母子には夫婦がもとい。元々ふたりで、もといは己。おのれの命の全ての影の、皆の愛する愛の中、生まれた意味を悟るでしょう。






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