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1日1とーん

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書くことを忘れないためのつぶやき集
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#日記

人混みが大嫌いで、通勤電車も渋滞も大嫌いな私は、合理的な選択として出勤することを選んだはずなのに、閑散としたオフィスや、帰ってただいまが返ってこない家に、たまらなく寂しく思う。季節感って、感情とセットで刷り込まれているのかも知れない。

ご無沙汰しております、お変わりないですか、変わっていないことを前提とする挨拶がスッと心に入ってくるのは、きっと平凡であってもとても幸せだということ。ご無沙汰しておりました、お変わりないですか。

どう振る舞えば下が付いてくるのか、というのはすごく難しい。優秀で人格者で、非の打ち所のない人から、「こうはなれない」と部下が去っていくという話に、やるせなさと悩みが深くなる。人格者だと思ったことはないが、抜けてて可愛がられるタイプでもないし、目指すべき姿が定めづらいなぁと。

かつては予定がない日は損失のような気もしていたけれど、「予定がない」予定を意図的に入れてみたら、自分のための気の向くままのインプットや思いつき、に向き合えて、心にゆとりが生まれた気がする。疲れたらちょっと「なにもしない」が、ポジティブな意味で許される社会でありますように。

機械的な数字の羅列や細々した事務作業が得意な人もいるが、私は完全に物事を文脈で理解するタイプなので、とりあえず丸暗記、なんでもいいからやっといて、という作業がかなり苦手だ。形から入って深めていく人もたくさんいるだろうから、理解の仕方は様々だということを心に刻んでおきたい。

書くことがなんになるんだ、と思ったこともあったけど、過去に自分が書いた文章に、思いの外救われた。書くことは自分のためだ、と思えたことが、今日の私のように、未来の私も救ってるかもしれない。

自分の価値観と相容れないものに直面するのは時に寂しさがあるが、それでもわたしはわたしらしく生きるのだ、と思えるようになったのは、少し成長した気がした。

そのときの関係性とかそのときの場所性に思い入れがある人間なので組織に対する思い入れはほとんどない(からこそ多くはないが今持っている関係性は大切にしたい)と最近思う

電車が着いた途端に改札に向かって駆け出していく子供を見て、そんなに急がなくてもと思うか、何か楽しみなことでも待ってるのかなぁと想像できるかが、自分の心の状態を映してる気がした。私も昔、わけもなく改札に向かって階段ダッシュしてた頃もあったなぁ。

いろんな出来事があった連休は、ものすごく楽しんでリフレッシュしていたはずなのに、あまりに短くて、最終的には疲れを感じてしまう、そんな日々だった。仕事に行き、10日前と同質の疲労を感じながら、休むって難しいよなぁと、改めて感じた次第。

聞く前に考えろ、仮説を持ってから話せ、と言われることも多いが、最初のうちはわからないことは何でも聞いた方が、結果的に効率的だと思う。というのを、電車で隣に座った新卒入社の女の子に話しかけてた酔っ払いのおじさん、きっとその子には理解されてないと思うけど、わたしもそう思うよ。

モノにいろんな想い出を付加してしまうので、モノを捨てるのが苦手で、前の引越の時の段ボールが1年以上経ってもまだ残っていたりする。思いきって実家に送り返したり処分したりしていると、そこに新しいモノが入れられるんだなぁというワクワク感がしたりして、たまには思いきってみるもんだな。

昨日はわたしにとってちょっと特別な日だった。いろんな人から連絡をいただいたなかで、「今日は平成最後の満月ですよ」という表現がとても素敵で。夜遅くオフィスを出た自分を照らしてくれるような気がした。

わからないことをわからないって言えるのは能力で、それで救われていると言われて、わたしはとても嬉しかった。わからないことが力不足だとなんとなく思い込んでいた頃、質問することでちょっとだけ世界を広げている年のひとまわり離れた子たちが本当に羨ましくて、憧れて仕方なかったから。