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1日1とーん

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書くことを忘れないためのつぶやき集
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人混みが大嫌いで、通勤電車も渋滞も大嫌いな私は、合理的な選択として出勤することを選んだはずなのに、閑散としたオフィスや、帰ってただいまが返ってこない家に、たまらなく寂しく思う。季節感って、感情とセットで刷り込まれているのかも知れない。

ご無沙汰しております、お変わりないですか、変わっていないことを前提とする挨拶がスッと心に入ってくるのは、きっと平凡であってもとても幸せだということ。ご無沙汰しておりました、お変わりないですか。

どう振る舞えば下が付いてくるのか、というのはすごく難しい。優秀で人格者で、非の打ち所のない人から、「こうはなれない」と部下が去っていくという話に、やるせなさと悩みが深くなる。人格者だと思ったことはないが、抜けてて可愛がられるタイプでもないし、目指すべき姿が定めづらいなぁと。

見てる人は見てるし、いつか自分の番が来る、と思うことでしか、頑張れなかった日々にちょっと光当たる出来事があったので、あのときの自分に頑張ったねと言いたい。頑張ることすなわち報われる世の中じゃないけど、まだ少しは、頑張りの積み重ねを信じられる気がした。

かつては予定がない日は損失のような気もしていたけれど、「予定がない」予定を意図的に入れてみたら、自分のための気の向くままのインプットや思いつき、に向き合えて、心にゆとりが生まれた気がする。疲れたらちょっと「なにもしない」が、ポジティブな意味で許される社会でありますように。

機械的な数字の羅列や細々した事務作業が得意な人もいるが、私は完全に物事を文脈で理解するタイプなので、とりあえず丸暗記、なんでもいいからやっといて、という作業がかなり苦手だ。形から入って深めていく人もたくさんいるだろうから、理解の仕方は様々だということを心に刻んでおきたい。

書くことがなんになるんだ、と思ったこともあったけど、過去に自分が書いた文章に、思いの外救われた。書くことは自分のためだ、と思えたことが、今日の私のように、未来の私も救ってるかもしれない。

職場で遅い昼ご飯を買いに15時頃、パン屋さんにて会計を待っていたら、60歳くらいの男性がこのお姉さんに先に会計してあげて、って。この数週間、キリキリした環境で働いていたから、そんな一言に泣きそうになってしまった。あの方がたくさん買ってったパンで、周りの人が幸せになっててほしいな。

全然関係のなかったふたつのものに意外な共通点や文脈が意味が見いだされたとき、すごく知的好奇心を刺激される。ターナーとラファエル前派とか、理系の人が使う畳み込み演算とOLが作った検算Excelとか。というわけで幸せな休日。

少し仕事に前向きな集団にいると、SNSでも、雑誌でも、休日であれ何かをすることを常に強いてくるけれど、思いきってなにもしない日、を作ることが、こんなにも自分の気持ちにゆとりを与えるとは。なにもしない日、早く来ないかなぁ。

自分の価値観と相容れないものに直面するのは時に寂しさがあるが、それでもわたしはわたしらしく生きるのだ、と思えるようになったのは、少し成長した気がした。

情報過多になると、目の前のことに追われて、ああもう少し"メタ"的な視点を持つべきだった、と思うのは、それが終わってからだ。いまは、とりあえず目の前のことをこなした解放感と、およそ1ヶ月ぶりの心安らぐ休日に、ただただ感謝している。もう一歩前に、と思うのは、もう少し先かもしれない。

そのときの関係性とかそのときの場所性に思い入れがある人間なので組織に対する思い入れはほとんどない(からこそ多くはないが今持っている関係性は大切にしたい)と最近思う

電車が着いた途端に改札に向かって駆け出していく子供を見て、そんなに急がなくてもと思うか、何か楽しみなことでも待ってるのかなぁと想像できるかが、自分の心の状態を映してる気がした。私も昔、わけもなく改札に向かって階段ダッシュしてた頃もあったなぁ。