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このごろの食卓 穀雨 8品
ひとり鶏白湯鍋
春キャベツとニラをふんだんに。
血糖値対策のため、もう半年以上糖質をゆるく制限しています。なので昼ごはんは、だいたいいつもこんな感じ。
ほたるいかの炊き込みごはん
もう少しおこげをしっかりつくっておけばよかった。
イイダコのやわらか煮
秋田県からイイダコを取り寄せたので、まずは明石の名店“立ち呑みたなか”のレシピでつくってみました。
新玉ねぎとじゃこのチーズグラタン
このごろの食卓 清明 8品
たけのこのお刺身
旬の時期のたけのこは、まずはなによりお刺身で。
せっかくなので今回は本わさびを起用。これでおいしさも幸福度もグッと向上します。
甘夏と鯛とミントのナンプラー和え
春の暖かい色を備前焼の上で。
ナンプラーで和えると鯛の舌ざわりがシルキーになります。
ハタハタの一夜干し
ベランダで一夜干しにしたハタハタは少し塩がきき過ぎて、ごはんがとても進みました。
にしんのお刺身
寿
春に聴く “Both Sides Now” 。
おはようございます。
さて、今日は “both sides” ということについて話をしようと思います。
“both sides” というのは、「両側」とか「両面」「双方」とかいう意味ですね。
さっき、着任式で、このたびこの学校に来られた先生方をご紹介しました。先生方はみな、これまでそれぞれの場所でさまざまな経験を積み、この春、この学校にやってきました。
今日、みなさんとこうして出会い、これ
ちょっと変な旅 敦賀・金沢 4
森山1丁目。西方寺。
前にこの場所に来たのは、もう45年前。高校1年生のときだった。その頃の父は羽振りもよく、年に何回か家族旅行に出かけていた。たしか、お正月に能登にある会員制のホテルに泊まっていたんだと思う。
能登に泊まった帰り道、金沢を観光することになり、最後に寄ったのがこのお寺だった。ここにはボクのご先祖さまで、当然父のご先祖様でもある越野家のお墓があるとのことだったが、ボクだけでなく、
ちょっと変な旅 敦賀・金沢 3
【3日目】2/11(日)
百萬商店 近江町市場店 → 近江町市場 → Vacation Rent 金沢 → PETRA BAKE&COFFEE → SAKE SHOP 福光屋 → 東山茶屋街 → 鮨処 あさの川 → Vacation Rent 金沢▲
連泊は寝坊ができるからよい。せっかく金沢まで来たのに寝坊とはいかがなものかという気もちも少しはあるが、最近はそういう贅沢もいいもんだと思えるぐら
ちょっと変な旅 敦賀・金沢 2
【2日目】2/10(土)
敦賀09:26 --- しらさぎ1号 --- 10:48金沢
季節料理 おでん 黒百合 → 金沢海みらい図書館 → 金沢温泉金石荘 → Vacation Rent 金沢 → 尾山神社神門 → 長町武家屋敷跡 → 大衆割烹 魚吟 → バー 漱流 → だいぬき屋 → Vacation Rent 金沢▲
さて、旅行2日目は敦賀から金沢へ。
サンダーバードに乗って1時間半弱の1
気づいたら校長になっていた
平成29年4月7日午後4時、ボクは少しあせっていた。
4月に入ってあれこれ忙しくはあったが、あいさつまわりも、ホームページの更新も、校長会も、職員会議も順調で、校長としてのスタートはまあまあうまく切れている。ただ一つ、問題は宴会だ。
その日の夜、学校を転入・転出した教職員のための歓送迎会が催されることになっていた。
当然、開会のあいさつは校長であるボクがしなければならない。そして、どうせなら
ちょっと変な旅 敦賀・金沢 1
2月に金沢へ行ってきた。
もともと「金沢へ行きたい」という明確な動機はなかったのだが、元日の地震の影響で観光客のキャンセルが相次いでいるということだし、とりあえずは、雀の涙ではあるけれど少しお金を落としてこようと思い立ち、金沢を訪れることにした。それに、北陸応援割がはじまってしまうと、人々でごった返すことになるだろうし・・・。
【1日目】2/9(金)
京都17:09 ーーー サンダーバード3号
「教え込む教育」から「引き出す教育」へ
学校は人に物を教うる所にあらず、ただその天資の発達を妨げずしてよくこれを発育するための具なり。
これは、福沢諭吉の著作『文明教育論』の中の一節です。
明治時代がはじまり、欧米のさまざまな知見を取り入れるで、“education”という英語をどう日本語に訳すかという論争が巻き起こりました。
日本の近代教育を設計した三傑による主張は次のとおりです。
大久保利通は“education”に「教化」と
忍耐と時、この二人の戦士ほど強いものはないのだよ
“忍耐と時、この二人の戦士ほど強いものはないのだよ”
これは、トルストイの『戦争と平和』に出てくるクトゥーゾフ将軍の言葉です。
1812年、大陸封鎖令に従わないロシアに対して、フランス皇帝ナポレオン1世は64万人の大軍を率いて敵地に攻め入ります。一方、連戦連敗でひたすら退却を続けるクトゥーゾフ将軍は、ついにモスクワを放棄してまたも退却。しかも、その愛する街に自ら火を放って・・・。
このあとの