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東京では手にしにくい地方の豊かさとは何か? Case:宮城県気仙沼市唐桑町

窓の外に目を向けると6月下旬とは思えないほどの眩しさを放っていた。まるで夏のようだ。隣を見ると、犬が寝息を立てながら横たわっている。足から尻尾の先まで伸びた体はカワウソのようで、普段の彼の小柄な体からは想像もつかない長さである。

※画像はイメージです

彼を起こさないようにベッドからそろそろと出ようと試みる。しかし彼は筆者の体に小さな体を密着させていた。彼は体の一部を人間にくっつけていないと寝られないタチなのだ。そのせいで、彼を起こさないようにベッドから出るのは不可能だった。

筆者が起きると、呼応するように彼も起きた。やむを得ない。起きてしまった以上は、共にベッドを後にするしかない。そう考えて彼を抱きかかえる。一年くらい前までは自分で階段を上り下りしていた彼だが、齢12才、今や自分で階段を上るのは難しくなっていた。

彼を抱えながら一階へと下り、おしめをつける。思いがけず起こされた彼は、信じられない悪行を働く存在を見るように、目を丸くして筆者を見ていた。毎朝のことなので、無視して外出の支度を済ませる。少しだけ気持ちが焦っている。何せ8時には家を出なければならなかった。ところが起きたのは8時である。

目覚まし時計を8時にセットしていたのだから当然の結果だったが、極めて遺憾であった。人間の心とはかくもままならない。サクッと外出の支度を済ませ、毎朝のようにこれから筆者の膝の上で二度寝ができるとウキウキ後ろをついてきた犬を置き去りにして、家を出た。

彼は、再び信じられない悪行を働く存在を見るように筆者を見送っていた。彼にとって、筆者は枕である。枕が役目を果たさずに去っていくのだから、信じられないのも無理はない。だが哀しいかな、筆者は彼の枕でない。デスクワークのない休日に膝枕にならないのは極々自然なことである。


OTO 気仙沼English Cafe'で温かな時間と英会話に溢れる時間を過ごす

アンカーコーヒマザーポート店

気仙沼English Cafe'の開始時間は9時。筆者が会場のアンカーコーヒマザーポート店に到着したのは9時30分を過ぎた頃だった。開始時間厳守の会ではなく、各々の都合の良い時間に参加する参加者も見られる会だが、少々申し訳なさを感じた。

気仙沼English Cafe'は今回で3回目の参加となる(前回前々回)が、未だ一度も開始時間に間に合ったことがない。いつか開始時間に間に合うように訪れたいものである。そのためには、早寝早起きの習慣が必要となる。ここ数ヶ月、8時前後に起きて、起き抜けに仕事を始められるようになってきた。

以前は9時〜10時頃に仕事を始めていたので大きな成長と感じている。だが、気仙沼English Cafe'の開始に間に合うには、あと30分少し早く起きる習慣が必要になる。たかが30分と思わなくもないが、朝の30分を縮めるのは中々困難なものである。未来の自分に期待したい。

ありがたいことに、遅れて現れた私でも、参加者の方々は快く迎え入れてくれた。席に座り、参加者の方々に挨拶をして、いつものように周囲で交わされている英会話に耳を傾ける。話を振られた際や折を見て筆者も英会話を試みるが、相変わらず言葉がまるで出て来ない。

英語を話せないのは能力不足によるものだが、そもそも日本語でさえ言葉が出て来ない。自分はこんなにも言葉を話せない人間だったろうか。この場を訪れる度に、そう思ってしまう。英語を話せないのは理解できる。だが、日本語さえ話せなくなるのだ。

恐らく英語で適切に話さないとならないと強迫的な考えに思考が支配され、本来必要なコミュニケーションに対する意識が向かなくなるためだろう。英語力以前にマインドセットをどうにかする必要がある。英語への自信を持てるようになれば、解消されるのかもしれない。

そうであるならば、絶望的に不足している英語学習の時間をどうにか確保する必要がある。それが出来たら苦労はない状況であるが、せっかくの英会話を楽しめる機会に英会話を行えないのは本末転倒だ。何とかしたい。前回同様にAbby氏や共にぬま大学を受講しているケイ氏に助けられる。

感謝の念が込み上げてくる。なんと温かい場なのだろうか。今日の気仙沼English Cafe'のテーマはあったが、フリートークを行う時間を多く取った。ケイ氏のご子息の好きな猫の話題や言語の学習の話題、また食べ物の話題など、多くの話題について英語で話し合った。

といっても繰り返しになるが、筆者は日本語さえ浮かんでこない有り様である。そのため会話に詰まることが多く、これまで同様にあまり上手く話せず終わってしまった。忸怩たる思いとまではいかないもののこのままではいけないと焦燥感に駆られる。

くるくる喫茶うつみでgrandmaのおにぎりを食べながらマイプランについて話し合う

気仙沼English Cafe'を終えてInstagramを見ると、くるくる喫茶うつみの営業時間がこの日は11時30分〜15時だと知る。夕方から行こうと思っていたが、どうやらこれから向かっても問題なさそうだ。車を内湾エリアへと走らせる。夏と変わらない気候のせいでサウナのように暑くなった車内は、とても居心地が悪かった。

内湾エリアまで5分程度の距離さえ長く感じられるのは、ある意味では夏らしさと言えるかもしれない。駐車場に着くやいなや逃げるように車から出た。これでまだ6月下旬なのが恐ろしい。来月、再来月はどれだけの地獄が待っているのだろうか。

PIER7周辺を軽くぶらついた後、南町、八日町と歩いて行く。歩き慣れた道であるが、歩く度にほのかな新鮮味を感じる。眩しいほどの陽光に照らされた町並みは、白磁のように光を讃えていて、どこか美しい。古めかしい建物ばかりが並んでいるにもかかわらずである。

誰も歩いていないのが勿体なく感じられる。その一方で、人通りが多くなればこの美しさや言葉にし難い雰囲気が失われるようにも思える。町とはままならないものだ。それ以上にままならないのは、筆者自身の心象風景なのかもしれないが。

くるくる喫茶うつみの入り口をくぐった先に合同会社colereの小林氏の姿を認める。思わぬ出会いに一寸驚くが、くるくる喫茶うつみは様々な人々がくるくる入れ替わり立ち替わりやってくる場であることを思い出し、こういう出会いがある良さを改めて感じずにいられない。

この日は福岡から気仙沼市を見に訪れた方がいらしたらしく、その案内を行っている様子だった。筆者が訪れてから間もなく、二人は唐桑町へと向かっていった。先ほどInstagramを見たときに初めて知ったが、今日のくるくる喫茶うつみはgrandmaの日だった。つまりおにぎりデーである。

おにぎりを求めて様々な方々が来店しており、来店客の中には昨年のぬま大生家族の顔もあった。子ども達が嬉しそうにおにぎりを食べ、プリンをいただいていた様子に微笑ましさが感じられる。親子の休日の様子を多くの人々が共有できるのは、ある種地方の良さでなかろうか。

grandmaのおにぎり、くるくる喫茶うつみのうめシロップジュース、チラシ

grandmaのおにぎりの優しい食べ心地とうめシロップジュースの丁度良い甘味を楽しみながら、7月5日〜7月7日に気仙沼市で行われる気仙沼バルについて、店主の吉川氏から話を伺った。どうやらぬま大生の同期が出演するらしい。その日は7月のぬま大学の講義日であるため、一寸驚いた。

若さとはタフさなのかもしれない。枯れた年齢となった筆者には中々難しいアグレッシブな活動量である。この日、吉川氏と筆者のぬま大学の活動に関して話し合いを持った。直近に、くるくる喫茶うつみの場を利用して、マイプランでやりたい事があったためである。許可を頂けてホッとする。感謝するばかりである。

「地域で豊かに暮らす?」ぬま塾の問い

くるくる喫茶うつみを後にして、筆者も唐桑町へと向かう。ぬま塾に参加するためだ。

内湾エリアから唐桑町に向かう場合、大きく分けて2つの道がある。宮城県道26号線気仙沼唐桑線、国道46号線気仙沼バイパスである。後者は、先週訪れたカントリーロードの横を通る道路(と三陸自動車)だ。筆者としては見知った道である。一方で前者は未知の道だった。

未知の道ではあったが、これまでその入り口を目にしており、比較的新しく整備された印象を持っていた。そのため、この日は宮城県道26号線を通って唐桑町へと向かった。しかし、大きな間違いだった。筆者は宮城県道26号線を唐桑町へと向かう主たる道路だと思っていた。だが、走り始めてから3分。大きな誤解だと知った。

「メインストリートにこんなにもカーブミラーが設置されているわけがない」

宮城県道26号は、傾斜がキツい上に急カーブが多く、車のすれ違いも難しい細い道が10分程度続く道だったのだ。周囲は新緑を放った木々が鬱蒼と並んでおり、いつ動物が飛び出してきても不思議はない。舗装されているだけで明らかに山道である。

完全なる下調べ不足で、およそ通るべきでない道を選んでしまった。ジーザス。そう思わずにいられなかった。つい先月走った夏油温泉に至る道に比べたら走るのは辛くないが、参加予定のイベントの開始時間が迫っているときに走る道でないのは確かだった。

木々の合間を縫うように走り続け、舞根地区に出る。道路が二車線に変わっただけで安心感が込み上げる。我ながらなんともチョロい。そのまま尾崎岬の方へと進路を進める。唐桑町を走るのは初めてで、どこを走っても新鮮な感覚になった。坂が多く、遥か高みから海を望む景色が目を賑わせてくれるの印象的だった。

気仙沼市内の市街地を走っているときとも大島を走っているときとも全く違う感覚である。地形の成せる業かもしれない。筆者はバイクを駆ることはないが、バイクで走るにはとても良い場所なのではなかろうか。住宅と大自然が共存している景観は、惹かれる者は惹かれるのだろう。中々見られない世界観が広がっているように感じられた。

唐桑ビジターセンター

あわや遅刻かと思われたが、どうにかイベント開始時間に間に合う形で会場となる唐桑ビジターセンターに辿り着いた。心の底からホッとした。何せ、唐桑ビジターセンターの300m付近まで地図を確認していなかったのである。おまけに山道のような道を走る状況に陥ったのだから、気が気でなかった。下調べ大事。そんな声が脳裏を過る。

唐桑ビジターセンター②
唐桑ビジターセンター③

唐桑ビジターセンターは2024年4月20日にリニューアルオープンしている。初めて訪れた印象としては、周囲の自然に溶け合うような主張し過ぎない整然とした佇まいが美しく、場所が場所だけに人目から離れて憩いたいときにフラッと訪れて安らぐのに良い建物である。

施設内に入るとぬま大学を運営している合同会社colereの面々に加えて、ぬま塾の参加者が20名前後集まっていた。ぬま大学以上に若い人々が集まっており、思いがけず息を呑んだ。気仙沼市のまちづくりに類するイベントは、比較的若い人々が集まる様子を見られる印象を受けるが、それにしても今日は若い人々が多かった。

率直に言って、少子高齢化が大きな課題とされている地方で行われているイベントというより、都市部で行われているイベントのような印象を持った。訊くと、気仙沼市役所の今春入庁者の中から何人か希望者が研修として参加していたそうである。なるほど、それならばこの光景にも頷ける。

いずれにしてもまちづくりの企画に若い人々が多く参加するのは、未来を感じて良いものである。まちを形作るのは老若男女様々な人々であるため、年齢性別を問わずより多くの人々が参加するようになっていくのが、理想といえば理想だと思う。中々難しい話ではある。

唐桑町まちづくり協議会と出会い、東京では得難い地方ならではのやりがいや生きがいを感じる

ぬま塾はこの回が33回目となるらしい。地方において行われるまちづくりや活性化をテーマとした企画で、30回を超えて行われ続けているイベントは全国でも少ないのでなかろうか。今回のテーマは「地域で豊かに暮らす?」であり、唐桑町まちづくり協議会の西川氏が講師を務めた。

冒頭、ぬま塾の説明があり、参加者同士の自己紹介を経て、唐桑町まちづくり協議会の西川氏による講演へと移った。西川氏は移住者である。講演は、移住の経緯から移住後の生活、唐桑町まちづくり協議会の活動へと話題が移っていった。

  • 地産地消

  • 地域交通

  • 地域協育

唐桑町まちづくり協議会では、これら3種類の事業を柱として唐桑町の抱える課題の解消に取り組んでいるとのことだ。それぞれについて、様々な活動が行われており、唐桑町が抱えている課題の多さ、その解消の難しさが窺える。多くの事業は、元は小さく始まったプロジェクトらしい。

地域にとって必要と思われる小さな行動の一つ一つが、人や地域を巻き込んでいくことで大きな事業へと成長した。よくある話と思われるかもしれないが、そこに至る過程は困難の連続である。どれだけの困難があったのかは想像に余りある。ただ、挫けずに何年も向き合い続けてきた事実には敬意を感じずにいられない。

講演は、今回の主題である「地域で豊かに暮らす?」へと移る。参加者の講演に対する関心の熱量がほんのりと上がったように感じる。西川氏は、本主題について大きく2点あると話した。

  • まちづくりにふれる

  • 暮らしを楽しむ

まず、まちづくりにふれる点について、西川氏は語る。地方は、東京23区などの大都市圏と異なり娯楽が少ない。店舗の数はないし、テーマパークやイベントなどもない。その一方で、個々人がまちづくりにふれられる機会があり、まちづくりにふれることでやりがいや生きがいを得られる。

それが豊かに暮らすことに繋がるというわけである。なるほど確かに。思うところがあった。基本的に大都市圏では、住民の一人一人がまちづくりに携われる機会がないわけでない一方で、個々人が主体となれる機会は多くない。そもそもの参加者が多いし、まちの規模が大きいために主体的に携わろうと思うと資本力や大きな能力が必要になる。

しかしながら、地方、とりわけ田舎は違う。個々人が主体的にまちづくりに参加しようと思えば、いくらでも機会がある。行動に対して賛同してくれる者ばかりではないし、そもそも人が少ないので協力者を集めるのも難しい。それでも、自分一人の行動を大きな変化を生み出していけるのは間違いない。

成功の程度に差こそあれど、地方の成功例として語られる話の多くは、一人の人間の行動から始まっているものが多い。個人が町という大きな存在に影響を及ぼし、変革を行えるダイナミズムが味わえるのは、やりがいや生きがいに通じるに違いない。恐らく人生において、そんな機会を得られるケースは中々ない。

そしてそれは、大都市圏で楽しめる娯楽では味わえない、大きな達成感がある。確かに大都市圏で得られる娯楽を地方では得られないが、一方でそうしたやりがいや生きがいを味わえるのは、地方ならではかもしれない。ある種、地方だからこそ楽しめる娯楽と言える可能性がある。

次に暮らしを楽しむについてだが、驚くことに西川氏は、移住して7年になるが日々の生活に飽きを感じないそうである。海で魚を捕り、陸で野菜を採り、友人や知人たちと食べながら語り合う。時節に応じた地域のイベントに参加し、住民達と交流する。そんな日常の中に面白さを見出しているから、飽きないし、心地好さを感じているのである。

もちろんそうした生活に面白さや楽しみを見出せずに地域を去って行く人々は少なくない。当たり前になってしまった日常の中から面白さや楽しさを見出せるのは、それ自体がある種才能のようなもので、中々容易ではない。だが、西川氏のようにそうした当たり前の日常の中に面白さや楽しさを見出せるようになった方が、暮らしが豊かになるのは間違いない。

講演の終わりには質疑応答が行われた。そこでは、やはり新参者としての難しさがあった点やどうして唐桑町を選んだのかといった話が交わされた。質疑応答の中で話された、ラフに移住できるようになるとより良くなるのでないかといった話は、ありとあらゆる意味で納得感があった。

質疑応答を終え、次に唐桑町まちづくり協議会の取り組みの一つである畑部の様子を見るべく、三浦氏の畑へと向かった。道中は参加者同士の乗り合いとなり、筆者は南部氏にお世話になった。

南部氏は地域おこし協力隊としてこの春から気仙沼市に移住した人物である。移住以前より気仙沼市で活動しており、道中交わされた会話は知見に溢れ、学びの多い時間となった。

畑部を知り、土の感触を思い出す

住宅地の合間にある細い道を抜け、開けた緑の世界で車を降りる。車から出て踏みしめた大地の感触は、とても懐かしい感触だった。子供の頃、近くにありふれていた土と雑草の感触である。ふと、今はそうした感触に出会う機会が減ったことに気付いた。

ハウス群。一番奥を畑部の面々が利用している

三浦氏と参加者全員が対面した後、三浦氏の敷地内の日陰で三浦氏から紹介を受ける。職業を農家でも百姓でもなく田舎暮らしと話されていたのは印象深かった。生活が仕事と渾然一体化している筆者にとって、その感覚には違和感がない。もっともその根底にある思想には大きな違いはあるのだろう。三浦氏の自然体な様子を見て、そんなことを考えた。

ハウスの中の様子

三浦氏の紹介の後、唐桑町まちづくり協議会の畑部で利用しているハウスの中を視察することとなる。ハウス一棟を畑部の面々が思い思いに野菜を育てる場所として開放しているらしく、通常のハウス内では見られない多種多様な野菜が育てられている様子が見られた。

自由と多様性に溢れる世界。ハウスの中は、さながらそんな言葉で表現できるような空間である。三浦氏は、基本的に手を入れない方針らしく、真実畑部の面々が好き好きに野菜の栽培にチャレンジしているとのことだ。

こうした取り組み自体は様々な場所で行われていると思われるが、完全に放任でやっているのは希有でなかろうか。それを実現している三浦氏の姿勢に感嘆せずにいられない。

からくわ丸が造った建築物

ハウスを視察した後、からくわ丸という団体が造った建築物の説明を受けた。建築を学んでいる高専生や大学生が、毎年訪れては代々受け継ぐように建築・増築・改築している建物で、南部氏も関わっていたとのことである。東日本大震災を経て、今尚繋がり続けている点に驚きを隠せない。それだけ三浦氏、そして唐桑町が人々を魅了しているのだろう。

津本漁港

三浦氏の畑で、この日芋の収穫を目的に来訪したからくわ丸の方から話を聴いた後、津本漁港へと場所を移した。道中、認定NPO法人底上げの成宮氏と歓談を楽しみ、クロージングとして集まった参加者と三浦氏、西川氏とこの日の感想や質疑応答などを交わす。

ニホンカモシカ

途中、山側にニホンカモシカが現れ、躍動感のある走破音が参加者を驚かせた。大自然が残る唐桑町ならではの出来事かもしれない。クロージングでは、筆者も感想を話している。話した内容は、先述した宇土の感触についてである。昨今は、土を踏む機会が減った。その事実に気付けたのは、自分の中では気付きであったのだ。

クロージングを経て、唐桑ビジターセンターへと戻り、ぬま塾の第33回は終わりを迎えた。筆者にとって、初めての唐桑町は、思った以上に気づきの多い機会となった。唐桑町の散策を今後予定していたため、下見という意味においても好ましい時間であった。

時刻は16時。日が傾き始め、夏のような日差しが和らいだ景色は、先程までとは打って変わり穏やかで、訪れたときとはまた違った唐桑町の一面を垣間見た気分になった。次に訪れる日が、今から楽しみで仕方ない。


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