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持っておきたい考え方
気になること、後々考えなきゃ行けないこと、やらなきゃ行けないことが頭をよぎる時は、リマインダーをセットしておいてその時間だけ考えるようにする。そうしないと今食べてるヨーグルトすら味わえない人生になってしまうから。
そして、後にやらなければならない嫌なことを考えた時、我々はその手前の行動すら起こせなくなってしまう。例えば朝ベットから起きることができなくなったり。
そんな時に有効なのがそんな後々の
決められた活動や目的の明確な活動からこぼれ落ちる弱いつながりのようなものを見つめて幸せを感じられるそんな人になりたいと思う。
それは同じじゃないのに同じのように見えて退屈してしまう日常を、今日のこの1日があったからこそという特別な瞬間に、視座に、僕らを連れていってくれるからだ。
Parfect days
この世の中で満足した日々を送るには、ユーモアの技術が必要だ。
木漏れ日はこの瞬間の私だけが感じられるものであり、唯一無二の「私」であることをより一層突きつけてくれる、親友のような存在だ。
世の中の感性に飲まれることなく余裕を持った人生を送りたいものだ。
深淵に飲み込まれそうになる時は目の前にあるものについて、どうしてこれがここにあるのかと問うてみるといい。
そうすると綿々と続く誰かの頑張りや想いによって今私の目の前にあることに気がつく。
それに気づいたが最後、私ばかりが不幸だ、などと言ってられなくなる程に力が湧き出てくるだろう。
我々には子供のように夢中になって、誰がいるとか関係なくはしゃいで、自然と声が出てしまう、そんな時間が必要だ。
私は何にはしゃいでいただろうか。
高校サッカーに「贈与」をみた
なぜ都会のチャラついた髪型をしてドヤ顔で立っている奴に腹が立つのか。
それはたぶん、
「お前の力でそこにたっている訳では無いのになんでそんなにイキってんだよ」
って思うから。それはつまり、能力がなかった自分から見た嫉妬やずるいという感情からだろう。
大してすごいことをした訳では無いのに自分のことをかっこいいとでも思ってる奴が嫌いだ。仕草や髪型、走り方にそれが現れる。そうやってひとつの評価基準の檻
不寛容から抜け出すには
自分は被害者で守られるべき存在だって思った時は、自分に優しくしてくれないもの全てに不寛容になる気がする。
資本主義や能力主義という構造自体が不寛容さを生み出す元凶になってるのでは。
時間的余裕も金銭的余裕もなければ私は被害者だって、慰められるべきだって思うのはしょうがない気もする。
車内で赤ちゃんの鳴き声にブチギレている人達に対しても、そのような態度を採らざるを得ないほど生活に困窮しているのだ