「すばらしき世界」

果たして人を殺してしまったがいじめを見たら止めに入る人と障害者をいじめて表面だけいい人ヅラしてる奴のどちらが腐っているだろうか。生活弱者には厳しいこの社会はおかしい、だから変える必要があると善良な顔をして近づくリベラルは変えられないものを認められないから元々そんな人いなかったかのように一斉に手を引く。作中、三上を人として見ていたのは三上の即時的な怒りに身を引かず真っ向から向かい合った人たちだけだった。
彼は最後の日、苦虫を噛み殺すような笑顔を作り世間の声に同調した。かつて人を殺めた彼が除け者にされた世界とはいったいどれほどすばらしい世界なのだろうか。
前科者を扱う作品はこれまでもいくつか観てきたが、どこまで行っても私は偽善者にしかなれないような気がして毎度自分に嫌気がさす。誰かが川で溺れていても私は橋の上にいる。時には救命道具を渡し、時には見て見ぬふりをする。決して川に飛び込んで肩を抱いてあげることはしない。そんな人としての在り方が、溺れたのは自己責任だとする社会の在り方が新たな悲しみを生み出す悲劇に加担しているのではないだろうか。私はまだこうやって自分の罪を懺悔することしかできないでいる。そうやって見て見ぬふりをする罪悪感から逃れようとしている。私が一番腐っているのかもしれない。助ける気がないなら発言するなよ。

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