高校サッカーに「贈与」をみた

なぜ都会のチャラついた髪型をしてドヤ顔で立っている奴に腹が立つのか。

それはたぶん、
「お前の力でそこにたっている訳では無いのになんでそんなにイキってんだよ」
って思うから。それはつまり、能力がなかった自分から見た嫉妬やずるいという感情からだろう。
大してすごいことをした訳では無いのに自分のことをかっこいいとでも思ってる奴が嫌いだ。仕草や髪型、走り方にそれが現れる。そうやってひとつの評価基準の檻の中でヒエラルキーの上に立ってるようなヤツらが心底羨ましい。

世界はこんなに多様で溢れてるのに未だに上に立つことの出来ない私は何なのだろう。青春とは、1価値観(モテる奴が一番価値がある)の中でどれだけ盲目になれるかだと思う。

この社会がどうやって回ってて、自分が今どうしてここにたっていられるのか考えなくていい。だからこそ、その大切さに気づかず他者の粗探しと自己の欲求を満たすためだけに生きることが出来る。

だから、彼ら高校生と21歳になった自分とを同じフィールドで比べてはいけない。子供のうちは感謝なんてしなくていい。彼らには正当に、不当な贈与を受け取ってもらわねばならない。そうしなければ彼らは自分の無力さと不当に受けとってしまった愛との間で窒息してしまう。

彼らが生き生きとイキっていられる社会の方がよっぽどいいということだ。そう考えれば我々も鼻を高くしていられるのではないだろうか。彼らが自分のためだけに生きられる社会を作っているのは紛れもなく我々大人なのだから。

その時我々もまた、彼ら高校生から贈与を受け取っている。それは、私たちの贈与をよくぞ受け取ってくれたという、彼らの存在自体に対する感謝だ。

あなたがそこにいてくれたから、私の頑張りが報われたんだよ。

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