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誰が何と言おうと、私たちは自由だ
私は、何か決断をするとき、人に流されたくないと思う。誰かがいるからそこに留まる、とか、辞めたほうがいいと言われたからやめる、とか、安定が重要って言われたから公務員になる、とか、そんな流された人生は私には合わない。
だから、渡米に関しても、友人や本からたくさんの励ましを受け、最終的には自分でお金を貯めて、自分でエージェントを決めて、自分で最終インターン先を決めた。
しかし、渡米へのプロセスを進む
「Tabi」か「Sumu」か
当たり前のことだけど、海外に行く理由が「旅をするため」と「住むため」では全く違う。渡米して生活すること10ヶ月。初めからそんなこと分かっていたけど、最初に知ったその違いが最近は大きな波のように広がって私は飲み込まれそうになっている。
モントリオールに「生活」した1ヶ月は楽しかった。大学の夏休みを利用して1ヶ月の往復チケットを購入してカナダに渡った。毎日カフェに行って勉強し、モントリオールのダウン
自分を売るってことを学んだ
ボスと話し始めると話がいろんな方向に飛躍していき止まらなくなる。そしていろんなことを教えてもらって、私も自分の考えや将来のビジョンについてよく話す。今日はボスからマーケティングの基本[4P3C]を習った。
4P : Product (何を売るか) / Promote (どうやって売るか) / Place (どこで売るか) / Price (いくらで売るか)
3C : Company (どんな
知らない私、みーつけた
私は根っからの文系人間だと思っていた。数字より文字が好きだし、化学式より文法の方が好きだった。しかし会社でExcelで簡単なデータ分析やスケジュール管理をするようになって、Excelの数式や問題解決についてすごく楽しいと思うようになってきた。
これを導き出したいという問題があって、それをさまざまな数式を使って答えを出す。どこかが間違っているとエラーが出る。柔軟性なんてものはない。ネットからいろん
もっとながく続けていきたい
アメリカに来る前は、アメリカに来たら自分が経験したことや考えたことたくさんNoteに書こう、そして共有しようと思っていた。でも実際ここに来てNoteを更新した回数は6ヶ月でたったの3回(たぶん)。生活の基盤を築くのと遊ぶのと実際に生活するのとで精一杯だった(言い訳)。いや、誰からもNoteの更新を強要されていないのだから更新しなくてもいい。でも、せっかくここにいて、たくさんのことが起こって、いろん
もっとみるJAPAN CULTURE in California
アメリカにきて驚いたことのひとつは日本のことが好きな人が多いこと。
日本食レストランに行けばいつも満杯。ホームパーティーにはテキーラと横にはお寿司。ナイトマーケットに行けばたくさんのフードコートとBTSグッズと鬼滅の刃。見るからに高そうなスポーツカーには大胆に日本のアニメのキャラクターがペイントしてあった。
日本文化、特にアニメは世界中で人気があると習った。でもそれは、日本人が世界における日本
アメリカに来たって。
J1ビザでアメリカに来て、1年半の期限付きで働く。
アメリカで働いてみたいと思っていた私には魅力的にしか思えないビザだった。そして2年間働いていた日本の外資系企業を退職し、サンフランシスコの日本企業で働き始めてから3か月が経とうとしている。
アメリカに住み始めて生活は変わった。現地の友達もできたし、毎日ご飯を作って部屋の掃除をする面倒くささも知った。車で20分で行ける職場も1時間半かけてバスで
環境には適応できると分かった話
たくさんの不安と期待を抱えてアメリカに来て、ようやく2週間が過ぎた。
不安と恐怖でホームシックになり毎日泣いていた私であったが、人間ってはやり環境に適応できる動物なのだ。鳴り響く銃声のような音にも慣れ、そこら中にいるCrazy peopleにも慣れ、大嫌いだったカラスの近くも勇気を出せば横切れるようになった。店の店員さんに英語で話しかけることにも慣れたし、冷蔵庫にある食材で3食作ることにも慣れた
不安だけど、とりあえず寝よう。
これまでアメリカには、1ヵ月の滞在を1回、1週間以内の短期滞在を3回した。それらの滞在期間では、確かにカルチャーショックを受けたが、「誰かが守ってくれる」という安心感があり、ただただ楽しいだけであった。
しかし、今回は1年半という長期の滞在で、しかも渡米の手続きや銀行の開設、運転免許の取得、車の購入、ワクチン接種の予約、滞在先の手配、全て自分の責任で、自分で行わなければならない。
私がサンフラ
予想外を集めた備忘録
見えない未来は怖い。だから新しいことに挑戦するのは怖い。
だけど新しい一歩踏み出すと、思ってみなかったことばかり起こって面白い。
いい事ばかりではないけれど、たとえ辛いことが起きても、それに直面してしまえばどうってことはない。踏み出した達成感のほうが勝るから。
私は今年アメリカで1年半J1プログラムに参加するが、その意思決定をしてから渡米するまでの準備段階で、「こんなことになるとは思っていな
アメリカ行きの選考に落選して
私が高校2年生の時、マレーシアに行ったのは不純な動機だ。
「アメリカに行った子たちに負けたくない」
勉強は不得意だったが、英語だけはできた。
小学校から通っていた英語の塾の先生が私にそう自信をつけてくれた。だから英語の点数が低くても、あまり話せなくても、英語ができるというプライドだけはなぜかあった。
Fail for America
だからこそショックだったのだ。アメリカ行きの選考に落選