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「Tabi」か「Sumu」か

当たり前のことだけど、海外に行く理由が「旅をするため」と「住むため」では全く違う。渡米して生活すること10ヶ月。初めからそんなこと分かっていたけど、最初に知ったその違いが最近は大きな波のように広がって私は飲み込まれそうになっている。

モントリオールに「生活」した1ヶ月は楽しかった。大学の夏休みを利用して1ヶ月の往復チケットを購入してカナダに渡った。毎日カフェに行って勉強し、モントリオールのダウンタウンを気の済むまで散歩し、ホストマザーが作ってくれるディナーを食べて、友達と夜飲みに出かけた。やりたいこと全てやらないと来た意味がないと思って毎日を全力で楽しんでいた。

そんな海外での楽しい「生活」が忘れられなくて、もっと長い期間海外に居たいと思った。そう決めてから行動するまでいろんな気持ちと戦い、いろんなプロセスを踏み、そしてようやくアメリカへの片道切符を買った。

アメリカで生活するための最初の手続きはそれはそれは大変だった。家を決めて、SSNを取得し、運転免許を取って車を買う。そんなプロセスをようやく全て終わらせてから5.6ヶ月が経ち、自分でも生活に慣れてきた。

毎日6時半前に起きてご飯を食べて仕事に行く。5時半に帰宅し二人分の夜ご飯と次の日のランチを作る。休日も朝早くに起き、家の掃除、1週間分の買い物を済ませてランチの作り置きをする。カフェで過ごす時間が大好きだったけど、カフェで見たホームレスのおじさんがトラウマだし、車のガソリンも節約したいし、パソコン取られたら怖いし、出費が増えるしって理由を並べて結局ステイホーム。外食も高いし、飲みに行く場所もないし、夜の散歩は危ない。結局夜は10時くらいに寝る。

そんな毎日を繰り返し、私頑張ってるなって自分を褒めることで気持ちを保っていたけれど、モントリオールでの生活がどうしようもなく懐かしくて戻りたくて泣いた。ふと「辛い」って思った。モントリオールで感じた全力で生きることの楽しさやスリルを全く感じられない。日常を生きながらも夜中まで遊びながら感じた非日常感を全く感じられない。

だけど、ようやく、モントリオールでの生活は「旅」だったんだな、なんて当たり前のことに気づいた。帰国するためのチケットがあって、日本に戻る場所があった。1ヶ月だけだからダウンタウンに住めたし、ご飯も作ってもらえた。今はダウンタウンとは程遠い住宅街で「生活」している。ただ、きっと、この「生活」を経験しなければこれからも、「旅」を「生活」と勘違いして「あの時はよかった」なんて不満ばっかり募らせる人生になってしまうだろう。

アメリカでの「生活」は確かに大変だし辛い時もある。過去がどうしても懐かしくなるし、あの頃のパワーが今の自分にはなくて落ち込む。けど、今の現実を受け入れてどうしたら良くなるかなって考えることが大事なんだろうなと思う。

日本で見たことなかった野菜に挑戦してみるとか、ちょっと遠くまでドライブしてみるとか(高速の運転にひどい苦手意識がある)、そんな些細な変化を取り入れて、自分なりに素敵に生活しようと考えを変えてみることにする。



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