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不安だけど、とりあえず寝よう。

これまでアメリカには、1ヵ月の滞在を1回、1週間以内の短期滞在を3回した。それらの滞在期間では、確かにカルチャーショックを受けたが、「誰かが守ってくれる」という安心感があり、ただただ楽しいだけであった。

しかし、今回は1年半という長期の滞在で、しかも渡米の手続きや銀行の開設、運転免許の取得、車の購入、ワクチン接種の予約、滞在先の手配、全て自分の責任で、自分で行わなければならない。

私がサンフランシスコのベイエリアに到着して一週間。最初の3日間は、それらの責任や手続きの多さに圧倒され、短期滞在では気づかなかったカルチャーにショックを受け、泣きながら親に電話をしていた。

独り暮らしもしたことない私。どうやってご飯を食べようか、2つのキャリーケースに詰め込んだ荷物をどうやって片付けようか、手続き等はどうやってすればいいか、息をするだけでも精一杯だった私はホームシックになり、とりあえず泣いた。

幸い、同じ会社で働く同僚の方がいて、彼女が生活に必要なものの購入を手伝ってくれた。そして私の不安も聞いてくれた。それだけで私はとても救われていた。

毎日半歩ずつで良い。何かしよう、そして気を紛らわせようと思い、洗濯をし、料理をした。親と電話するたび涙は自然に出てきてしまったが、ほんのちょっとずつ気持ちが落ち着いてきた。

そんな到着2日目の夜。近くで「ばんっ」という大きな音がして、そしてサイレンが鳴った。銃声が鳴り響いたのだと思った。私は飛び起き、部屋の外に出て、他の人の様子を伺った。誰も起きてこない。不安になった私は家のオーナーに不安な気持ちをメッセージで送った。返信は来ない。住んでいる場所の近くで銃乱射が起こったらどうしよう、日本帰れるのかな、一度不安になるとそこから抜け出せなくなって、夜中に一人でまた泣いた。

それでも私は人間なのだ。疲れたら寝る。散々泣いた後、朝までぐっすり眠ていた。そして朝にスマホを開くとオーナーから連絡が来ていた。

「大きな音ってどんな音?もしかしてそれは花火じゃない?建国記念日が近いから若者たちが至るところで花火をあげているよ。この場所は安全だから安心してね。何かあったら僕の家(オーナーは隣に住んでいる)のベルを鳴らしてね」

あんなに心配したのに花火だったのか…!

そういえば韓国のドラマでも言っていた。「恐怖は自分の想像力の賜物。思ったより平気」。恐怖は自分たちの想像力から生まれる。怖い、と一旦感じてしまうと、それからずっと恐怖を感じてしまう。人間である限り、頭の中に危機感知能力はずっとあるのだろう。

でも本当に意外と、そんなもんなのか!と思うこともあるんだと学んだ。確かにいつでも危機の察知と自己防衛はしなければならないが、ある時は一旦恐怖を横において、「私、考えすぎではないか?」と問いただしてみることも必要なのかもしれない。

今日も聞こえてきた。「ばんっ・・・しゅるしゅるしゅるしゅるぅ(花火の音を再現)」

この音はきっと花火で間違いない。心配せずに寝よう。明日もきっといい日になる。:)




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