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#小学校の先生
オリンピックは狭き門症候群の象徴
◇「狭き門症候群」というワード自体ポピュラーではない(私自身は、中井久夫先生の著作以外で見たことがありません)ものの、言わんとしていることは分かると思います。
人はなぜ、狭き門をくぐろうとするのだろうか?パリ五輪を見ていると、これは最たる例だなと思わされます。
1.狭き門へと駆り立てる背景
中井久夫先生は、『学校精神衛生』と題して世界精神衛生連盟会議(1981年)で報告をしています。そこ
「死にたい」の中にある「生きたい」
◆こんにちは。小学校教員のねこぜです。「不登校」。非常に難しい問題です。というのも私たち教師は、教室にいる、目の前に座っている子に対して言葉をかけ、話を聞き、アイコンタクトを取り、言葉を交わし…と関わっています。しかし、そこに「いない」子ども(たち)への関わり、寄り添い、慮る…これは容易ではありません。何をすればいいのか、何もできないのか、非力を嘆くこともありました。東畑開人さん著『聞く技術 聞い
もっとみる目標だらけの学校教育(2)
◆こんにちは。小学校教員のねこぜです。前回の目標だらけの学校教育ではややも愚痴っぽく書き連ねてしまいましたが、少し具体的に解像度を上げてみたいと思います。参考図書に國分功一郎さんの『目的への抵抗』を用いていきます。
1.無駄をそぎ落とすことの功罪
主張に入る前に、目標と目的の定義をはっきりさせておきたいと思います。
目標とは、①そこに行き着くように、またそこから外れないように目印とするもの
対話に備えるということ
◆こんにちは。小学校教員のねこぜです。学校教育では、「主体的、対話的で深い学び」ということが打ち出されて10年近く経ちました。アクティブラーニングなんて言葉も流行りました。また、今の時代にはコミュニケーション能力が求められるというようなことも随分と言われたものです。「対話しろ」、「コミュニケーションを取れ」ではなく、対話するとはどういうことか、対話的とは何か、について考えてみたいと思います。
「わからない」ということ
◆こんにちは。小学校教員のねこぜです。お盆休みも終わり、世間は仕事再開モード。学校もそろそろ2学期へと動き出しています。今回は「わからない」ことについて書こうと思います。
「わからない」って単純に負のイメージが連想されませんか?「こんなこともわからないのか」とか「先行きがわからなくて不安だ」とか、本当はこの「わからなさ」を人々はもっと大事に抱えて咀嚼していけばいいと思うのです。「わからない」こと