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遺伝は呪いではない

◆こんにちは。小学校教員のねこぜです。代麻理子さんの「ゼロから学ぶ街場の大学」に参加してきました。ゲストは『教育は遺伝に勝てるか』の著者である安藤寿康先生です。以前記事にしたことがあります。

 安藤先生に直接質問させていただいたり、自分の考えを聞いていただいたりして学ぶことが多かったので、記録していきます。


1.遺伝か環境かその両方か

 「親がああだから子どももこうなるんだ」これは遺伝の一部の現象ではあるけれどあまりに単純化しすぎており誤りである。遺伝によって決まる<決定性>伝わる<伝達性>変わらない<不変性>は素朴な遺伝論としてたしかにあるが、もう一度基本であるメンデルの法則に立ち返って正しく理解してほしいと安藤先生は言う。
 過去の記事でも述べたが、メンデルの法則に立ち返れば、親の遺伝が表出する個体もあれば表出しない個体もある。しかし、さらにその下の世代になると表出しなかった特徴が隔世で表れることもあるのだった。

 遺伝の組み合わせで言うと「一組の親からでも、一定の集団(例えば今回イベントに参加した数十人)をカバーできるくらいのバリエーションが生まれる」のだという。平凡な夫婦から突出した才能をもつ子が生まれてくる場合もあるし、その逆、共に何かに秀でた両親から平凡な子が生まれることも十分ありうる。平凡とは言うが誰しも何か持ち合わせているとは思う。
 遺伝的な素質とは、状況や環境、学習によって表れてくる。今回の私のようにイベントに参加したことも一つの行動選択のである。

 同じ遺伝子をもつ一卵双生児でも、性格や言動、好き嫌いは当然異なる。ただ、このバラつきが同じ遺伝子ではない集団と比較したら幅の少ないバラつきに収まるのだそうだ。
 人はそれぞれ世界の認知のしかたが異なっている。遺伝もあるが環境もある。養老孟司先生もそれは五分五分でしょうと仰っていた。

 だからこそ、親に似てるのも似てないのも「親がああだから…」とネガティブな捉え方をしてしまう危うさに陥らないでほしい。むしろ、「遺伝の影響だったんだ」と後付けで納得する、受容するポジティブさを身に付けてほしい。「親の(養育環境)せいでこんな辛い思いをした」というストーリーを持っている人もたしかにいるだろう。たしかにそれは体験としては事実である。しかし、その人のパーソナリティの基礎は持って生まれたものであるというのが安藤先生の見解だった。
 学業において、あるいは習い事などは親がそのような環境を設定することで能力的に左右される。しかし、幼少期を抜け出し、高校生や大学生くらいになれば自分から学びに行くことができる。先程のような自発性を持って行動選択していくことが重要になってくる。

 つまり、生まれもった変わることのない感性と今ココを効かすことのできる環境との相互作用である。

2.教育ができること

 ビリギャルを例にして考えると分かりやすい。彼女の場合、坪田先生という環境を得ることによって素質が表れた。では、坪田先生に教われば、坪田宿の環境に身を置けさえすれば100%東大に合格できるか、といったらそんなわけない。

 人にはそれぞれ大なり小なり偏りがある。そこに「坪田先生に教わる」のようなきっかけや社会的なつながりがあり、個人が持つ何らかの遺伝的素質に社会的な意味をもたせることによって居場所が生まれる。

 だからこそ、教育の果たす役割は個人のもつ素質に水をやることだと思う。どんな芽ができるのか、どんな花が咲くのか、どんな実が成るのか、それはすぐには分からない。安藤先生は「教育は祈り」だと言った。いつか実がなることを願うのが教育者であり、その可能性を広げる場が学校なのだ。

 遺伝学的に言わずとも、どう頑張ってもできないことはある。私が今から本気で野球に取り組んだとしても大谷翔平選手を超えることはできない。どんなに勉強しても東大に合格することは難しい子もいる。絶望感を与えるようなことにならないためにも、努力主義や一律の評価には弊害があると考える。

 本来教育とは知識を伝達・共有する場であった。そもそも他の動物は全て個体学習である。ひな鳥も自分で飛べるようになり、自分で餌を取れるようになり、去っていく。人間だけが知識をわざわざが他人に教えている。知識を独り占めできない、個体差があるがゆえに教えたくなる、役立つから学びたいといった相互扶助によって、個体だけでは決してライオンに勝てない人間がこうして文明を築いてきた。

 個体差があるのだから得意不得意を互いに補い合いながら集団をつくっていけばいい。しかし繰り返すが、何事も頑張るべきという努力主義と、点数取れないと進路が…という評価制度によって子どもに様々な抑圧と制約を課してしまっている。

 障害のある子においても、障害ではない部分にどれだけ光を当ててやれるか、その子に合った環境をカスタマイズしていくのは困難ではあるけれど、幼い子にはそれができない。親が、学校が、社会が、目をかけてやる、手間をかける、そして祈ること。
 きっと、子どもも大人になってから気付くことがたくさんあるだろう。そのときに当たり前が有り難いに変わる。そうしてまた次の世代へと受け継がれていくのだろう。遺伝も環境も。

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