ねこぜ@小学校の先生

田舎公立学校教員|日頃考えていること|これまでの経験、実践|読書記録|教育エッセイ|夏…

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田舎公立学校教員|日頃考えていること|これまでの経験、実践|読書記録|教育エッセイ|夏休みだけ出没します

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書きたくないときは写真を

◇夏休み毎日投稿を続けて3年目。コンスタントに続けることの難しさはこのぐらいの時期にやってくるものです。  書かなきゃいけないような義務感に駆られたり、内容のいいものにしなければと自らハードルを上げてしまったりと、少しの負荷が気付けば大きな負荷へと変わっていく。おそらく世の中にある労働や遊びなどもこうして内面的変化を経ているのだろうと感じます。  今回は、常念岳の写真を載せます。  登山記録はこちら。 1.マジックアワーと雲海 2.常念岳と夜空

    • そこにいてくれればいい

      ◇「目が合うとニッコリ」  これほどシンプルに互いの存在を認め合う、肯定する仕草はないだろうと思います。以前、子どもの存在を肯定することを記事に書きました。  大人の側から子どもの存在を肯定していきましょうというメッセージを込めたつもりです。では、子ども側から大人をどう見ているのでしょうか。あるいは、相互的な眼差しについて少し考えてみたいと思います。 1.オリンピック柔道で金メダルを獲得した角田夏実選手の話  冒頭の「目が合うとニッコリ」は角田選手にとって試合に臨む直前

      • 続けていれば何者かにはなれる

        ◇「5年くらい続けていれば何者かにはなっているんだと思います。」  『スマホ時代の哲学』『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』などの著者谷川嘉浩さんが去年のトークイベントで発されていた言葉が今でも印象に残っています。谷川さん自身も哲学の研究を何年も続けてこられて今の立場があるのでしょう。  この立場の築き方には二通りあるのだと考えられます。  一つは、その立場を目標(ゴール)として計画したり努力したりして取り組んでいくタイプ。  二つは、何かしらに取り組み続けた結果、気付

        • 自然と自己の登山記録

          ◇今年も自然と向き合う時間が欲しくて登山に行ってきました。  昨年は燕岳へ。その時の記事は以下です。  さて、今年は燕岳のご近所さん、常念岳に登ってみました。 1.近くても違う山  標高も同じくらいだし、近いから燕岳と同じ感じだろう、その思いは登り始めてすぐに一変しました。事前に持っていた情報は、「燕岳に比べて緩やかだから時間がかかる」これだけ。  当たり前ですが、道がとにかく違いました。ごつごつした岩の道。瓦礫と言えばいいのでしょうか。沢のそばをずっと歩いていくこと

        書きたくないときは写真を

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        • ねこぜの教育論
          28本
        • ねこぜの教育実践
          17本
        • ねこぜのなんちゃって入門
          5本

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          子どもたちはどんなゲームにはまってきたか

          ◇ゲームは楽しい。テレビゲームが子どもの遊びの中心になって30年近く経ちます。私も子ども時代はゲームとともにありました。教員となり、子どもを育てる親となった今でも、ゲームはよくやります。  さて、子ども(主に小学校高学年)を取り巻くゲームについて、ここ数年どのようなタイトルが人気を集めたのか振り返ってみたいと思います。 1.スプラトゥーン  初代はWiiだったかな。もう10年近く前でしょうか。現在シリーズ三作目が出ています。  打ち合い(本当は塗り合いなのですが)のゲ

          子どもたちはどんなゲームにはまってきたか

          汗かけ恥かけ文をかけ

          ◇今回のタイトルは渡辺道治先生の著書からとったものです。『汗かけ恥かけ文をかけ。』(東洋館出版)は教師としての力量形成をテーマに書かれたものです。教師向けの書籍ではありますが、正直職業や年齢は関係ないだろうと思います。  学びとは事後的に生じるものですが、学ぼうとする・伸びようとする姿勢や己の未熟さを自覚して生きることの大切さはあると思います。そのマインドセットとして①汗かけ②恥かけ③文をかけなのです。 1.汗をかく  今年の夏もえらい暑いのでちょっと出歩いただけで汗を

          汗かけ恥かけ文をかけ

          パリ五輪と誹謗中傷

          ◇「東京五輪のとき、こんなに誹謗中傷あったっけ?」  今年のオリンピックは何かと不平不満が噴出しているように見受けられますが、3年前の東京オリンピックはどうだったのでしょうか?正直あまり記憶がありません。自国開催だったというのが大きかったのでしょうか。それとも本当に今回のパリオリンピックは酷い大会だったのでしょうか。  阿部詩選手の慟哭に対して、柔道の不可解な指導や判定に対して、競歩の出場辞退に対して、出口クリスタ選手のカナダ国籍選択について、男子サッカーのオフサイド判定に

          パリ五輪と誹謗中傷

          目的なのか手段なのか分からない感じがいいのかもしれない

          ◇「教育×地域」というテーマでの談話があったので、それについて考えたことを徒然と書いていきます。 1.学校と地域は食い合わせが悪い?  地域と言っても様々ですが、今回は比較的過疎地で人口の過半数が高齢者、昨年度の出生数は10人というような場所で、公立塾に参画されている方や高校の学生寮を運営されている方から話を聞きました。  教育の場といえばまずは学校かと思いますが、学校には目標や目的があり、「昨日より今日、今日より明日」と伸びてゆこうとする学びの場のイメージがあります。

          目的なのか手段なのか分からない感じがいいのかもしれない

          オリンピックは狭き門症候群の象徴

          ◇「狭き門症候群」というワード自体ポピュラーではない(私自身は、中井久夫先生の著作以外で見たことがありません)ものの、言わんとしていることは分かると思います。  人はなぜ、狭き門をくぐろうとするのだろうか?パリ五輪を見ていると、これは最たる例だなと思わされます。 1.狭き門へと駆り立てる背景  中井久夫先生は、『学校精神衛生』と題して世界精神衛生連盟会議(1981年)で報告をしています。そこで強調されたのが日本人の「狭き門症候群」です。  狭き門をくぐるために、家族総出

          オリンピックは狭き門症候群の象徴

          個人面談で異文化について語る

          ◇「あらゆることが欧米化しても、アメリカと日本はこうも違うんだなぁ」  小学校では年に1~2回個人面談を行います。中学校と違って子ども抜きの二者面談。時々話が盛り上がって規定時間以上に長引くこともしばしばあります。私は不思議とそれが苦じゃありません。後ろに時間があって保護者の側から「もう少し話したい」という時には喜んで聞くようにしています。  子どもの習い事のことだったり、兄弟や夫婦、親戚関係の悩みだったり、果てには趣味や仕事の話など学校や子どもに関係のない雑談、世間話。こ

          個人面談で異文化について語る

          吃音について学ぶ

          ◇「放送内容をめぐってNPO法人「日本吃音協会」がTBSへ「吃音者に対する差別と偏見を助長するもの」と抗議文を送る騒動」  少し前に、テレビ番組「水曜日のダウンタウン」では、この騒動を受けてさらに番組を展開するという放送回がありました。  内容そのものというより、吃音についてそういえばきちんと考えてきたことがなかったなと気付きました。  水ダウでのインたけさんの吃音騒動を見て、思い出したのが同じくテレビ番組「月曜から夜更かし」のフェフ姉さん。当時面白くてよく見ていたのです

          人生に踊り場がほしい

          ◇「踊り場のない階段を登ることほど疲れるものはないだろう」とは精神科医だった中井久夫先生の言葉である。私たちは日々疲れている。毎日寝てるし、休日だってあるはずなのに、である。  ふと感じることがある。  「休み方が分からない」  かつては働くことと休むことは渾然一体だったはずです。それが気付けば、働くことと休むことが二項対立関係になり、休むために働いているのか、働くために休んでいるのかよく分からない状況に陥ってしまっているように思えます。  果てには、「楽して稼ぎたい

          人生に踊り場がほしい

          どうする?2038年問題

          ◇「2038年問題」ご存知ですか?尾池和夫さん(元京都大学総長であり地震学者)が予測として2038年頃に南海トラフ地震が起こるであろうと述べているのです。ちなみに、「2038年問題」と検索するとコンピューター問題の方がヒットします。こちらも何かしらあるようですね。  先日、日本環境教育機構による養老孟子先生の基調講演を聞いてきました。そこでの学びをアウトプットします。 1.本当に困ること  「環境」と名のつく学部や学科が近年増えているそう。それだけ環境への関心や危機感が

          国語教材としての宮沢賢治

          ◇こんにちは。子育てからちょっと寄り道します。学校教育での国語で必ず通るのが宮沢賢治ではないでしょうか。『やまなし』や『雪わたり』、『雨ニモ負ケズ』、『永訣の朝』など・・。  「教科書を学ぶのではなく、教科書で学ぶ」と言われますが、国語の物語文に限っては、その作品を学ぶことにも大きな意義があると感じます。それは宮沢賢治に限らず、新美南吉や夏目漱石なども挙げられますが、今回は宮沢賢治に絞って学んだことを書いていきます。 1.宮沢賢治の童話は児童文学か  宮沢賢治の作品の特

          国語教材としての宮沢賢治

          子どもが安心して通えるように

          ◇「〇〇さんから仲間外れにされた」「〇〇くんに叩かれた」子ども同士のトラブルに、教師として、あるいは親としてどのように対処していますか?  子育てにも生かせるように、教師・保護者のどちらの立場でも分かるように書いていきます。  ステップは3つ。聞く⇒指導する⇒経過観察する です。 1.聞き取り  トラブルが起きた際、まず聞き取りをします。ここで不適切・不十分な聞き取りをすると、調べた結果全体に疑義がかかったり、保護者が聞いた話に改変されるリスクがあります。例えば、「娘に

          子どもが安心して通えるように

          夏休みの宿題に何の意味があるのか

          ◇子どもにとって夏休みの風物詩の一つに宿題が挙げられるでしょう。決していい意味ではないと思います。そもそも宿題というものをいい意味で受け取っている人が果たしてどれくらいいるのか。  夏休みの宿題をAIにやってもらうなんて記事も見られます。正直、辟易します。夏休みに限らずではるのですが、宿題についてちょっと考えてみたいと思います。 1.意味を求めるのではなく意図をもつ  OpenAIに夏休みの宿題をやってもらう人にとっては、夏休みの宿題=無意味なものなのでしょうか。そういう

          夏休みの宿題に何の意味があるのか