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続けていれば何者かにはなれる

◇「5年くらい続けていれば何者かにはなっているんだと思います。」
 『スマホ時代の哲学』『人生のレールを外れる衝動のみつけかた』などの著者谷川嘉浩さんが去年のトークイベントで発されていた言葉が今でも印象に残っています。谷川さん自身も哲学の研究を何年も続けてこられて今の立場があるのでしょう。

 この立場の築き方には二通りあるのだと考えられます。
 一つは、その立場を目標(ゴール)として計画したり努力したりして取り組んでいくタイプ。
 二つは、何かしらに取り組み続けた結果、気付いたらその立場に到達していたタイプ。


1.人生はなりゆき

 「キャリアプランをどのように設計するか」、「どのような人生を歩みたいか」、「自分がやりたいことは何か」、よく聞くこれらの言葉は先程のタイプで言うと全て前者だと思います。自分の人生、一度きりの人生、無駄にはしたくない。何とか思い通りに過ごしたい。そんな思いがにじみ出ています。
 気持ちは分かります。ですが、人生はどうも自分だけのものとは思えない気がするのです。

 「人生はなりゆきだ」とは養老先生の言葉。先程のタイプで言うと後者に当てはまります。
 何者かになるために生まれてきた人はいません。気付いたら、この世に生まれていた。スタートはそうだと思います。もちろん、何かのキッカケがあって、サッカー選手になりたい!医者になって人々を病から救いたい!と思いながら結果、それを成し遂げる人もたくさんいます。素晴らしいことだと思います。
 そういう自分も教師になりたいと思い立って、勉強し、進学し、採用試験に合格し、教師になることができました。

 でも、です。「なんか違うな」と思うこともあります。違和感であったり、あるいは後悔であったり。よかったこともあれば、もしかしたらもっといいこともあるんじゃないか?とも思ってしまう。人生の不可逆性と一回限りが人を惑わすのだと思います。

2.続けることでしか得られないもの

 転職が当たり前となった現代。経済的自由(Financial Independence)を果たして早期退職(Retire Early)する所謂FIREを目指す人もよく見かけるようになりました。

 「自分が何かしたいかを考えるよりも、自分は他人に何をしてあげられるのかを考えてみては?」とは、鷲田清一先生の言葉。自分の人生、自分のキャリア、自分に対して意識が向きがちですが、もっと周りに目を向けること。共生を考えることも一つのポイントのように思えます。そうすると、人生は自分だけのものではないような気がしてくるのです。

 その上で、最初の言葉に戻ります。

 「5年くらい続けていれば何者かにはなっているんだと思います。」

 今、やっていることも仕事も振り返ればその人なりの足跡があります。私も気付けば教員になって10年以上が経ち、だからこその経験値があるわけです。特定の教科においては専門性も深められたわけです。
 しかし、教員になって数年でやめてしまう人があまりにも多い。一方で、教員ではない立場で教育に携わりたいという人も多い。

 「教員免許あるなら教員やってほしい」というのが実のことろ本音です。大変なこともたくさんります。が、続けていれば何者かにはなれますから。はじめから特別な存在になろうとしなくていい。自分にしかできないことを探したり、自分のやりたいことは何だろうかと思い悩む必要もありません。

何か呼ばれてるような気がする、というような小さなシグナルに耳を欹てて、成り行き任せがいいんじゃないかという気が最近しています。

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