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そこにいてくれればいい

◇「目が合うとニッコリ」
 これほどシンプルに互いの存在を認め合う、肯定する仕草はないだろうと思います。以前、子どもの存在を肯定することを記事に書きました。

 大人の側から子どもの存在を肯定していきましょうというメッセージを込めたつもりです。では、子ども側から大人をどう見ているのでしょうか。あるいは、相互的な眼差しについて少し考えてみたいと思います。


1.オリンピック柔道で金メダルを獲得した角田夏実選手の話

 冒頭の「目が合うとニッコリ」は角田選手にとって試合に臨む直前の大事なルーティーンなのだそうです。

 ヤフーニュースの記事です。会場にひろゆきさんがいたことが中心に据えられていますが、内容としてとても素敵だなと思いました。

準決勝だけ、今井コーチが後方に座っていたため、角田が見つけられず、不安な心境のまま試合に臨んでいたことも明らかに。角田は試合中にも客席に視線をやり、ついに今井コーチの姿を見つけると、集中して相手に対峙。見事に勝ち抜き、金メダルに到達したという。

Yahoo!デイリーニュース

 子どもと親、生徒と教師、選手とコーチ、関係性は違いますがこうした非対称的な間の中では、その存在そのものがとても大きいことなのだとよく分かります。

 そして、「そこにいることが大きな力になる」には、それまでの関係性の積み上げも大事なのだろうということは容易に想像できます。

 ただ、コーチや教師といった肩書きがあれば選手や子どもたちに絶大な力を与えることはできません。「そこにいるだけ」で選手や子どもに資することができるためには、コーチや教師の在り方が問われているような気さえします。

 それは、知識の豊富さや技能や指導力の高さといったテクニカルなことだけを指すわけではないと考えます。

 端的に言えば、人間性。それこそ、子どもや選手たちと目が合ってニッコリ笑い合えますか?

2.不在が不安定を生む

 小さい子どもが家でお留守番するときに強烈な不安に襲われることがあります。

 また、小学校では特にそうだと思いますが、担任の先生が風邪などでお休みになるとクラスがザワついて落ち着かなくなることもよくあります。

 こうしたことも(たとえ普段、親のことを、担任の先生のことを、疎ましく思っていたとしても)存在していることで、子どもたちにエネルギーを与えている、安心感をもたらしていると言えるのだろうと思います。

 さきほどの角田選手の記事でも、今井コーチを見つけられないまま試合が始まってしまったことへの不安が書かれています。
 また、「応援が力になる」というのも、「自分の存在を肯定している」人がいるということが声援として自分に届くことであり、安心感が得られることで力が発揮されるのだと考えられます。

 先日、数年前に受け持った子のお母さんに偶然会いました。少し雑談を交えながら、「会えたことが嬉しい」と言われ、こちらも嬉しくなりました。「あのときはありがとうございました。」と感謝されることで、こちらも感謝の思いが湧きました。「特別なことはしていません。自分たちの力で伸びていったんです。」と伝えると、「いてくれただけでいいんです。」とこれ以上ない有り難い言葉をくださいました。

 「そこにいるだけで力になる」そう確信しています。

 教え方を学ぶことも大切ですが、教師としての在り方についてこれからも考えていきたいと思います。

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